【5】
鎮痛剤とがちがちのテーピングで、護衛の任務は無事終えた。次の仕事の準備に取りかかる頃はもう、ジョウの手首は完治。そしてあたしはこのアクシデントを蒸し返すことはしなかった。
クラッシャージョウチームへの依頼は元々多い方だけど、それでも波はあって、このところが丁度、依頼が立て続く過密状態のまっただ中。
彼のメンタルがぶれると良くない。ミスや事故に繋がる。
だからライトなコミュニケーションやスキンシップに留めて、あたし達はなるべくストイックに日々を過ごしていた。
―――そんなある日。
船室のドアをノックした。
「ちょっといい? さっきの話だけど」
《ミネルバ》は、こぐま座宙域・惑星アトロバスの衛星軌道に入った。大統領秘書より、降下の指示が出るまで待機。ブリッジはドンゴに任せて、あたし達クルーはスタンバイを兼ねた自由時間を過ごしていた。
ジョウの船室を訪ねたのは、次の作戦に活かせるアイデアが浮かんだから。壁と一体型のインターフォンから、ああ、の応答と同時にドアが開いた。
部屋のテレビモニタには、銀河系全域に中継されているミュージッククリップ専門チャンネルが映し出されていた。
ジョウはベッドで、両腕を枕にしてごろりと寛いでいる。
「こっちでもいい?」
あたしは部屋の奥、ベッド脇のデスクの傍らに立ち、ちらりとチップを見せた。
「構わない」
「サンキュ」
デスクの上の端末に挿入すると、手早くキーボードを叩く。テレビモニタを二面に割って、右の矩形にチップのデータを表示した。ある宙域の星図に、グラフィカルなコンパスが描かれる。
「うん? これか」
すぐ興味を示し、起き上がる。ベッドの脇に腰を下ろした。
「そうなの。使えると思わない?」
「ワープポイントが二カ所あって、航路がこれだけ入り組んでると確かに……」
「煙に巻くときは良さそうでしょ。あとね」
あたしはキーをいくつか操作し、別データを表示する。
「時間通りきっちり動くなら、双子惑星が公転する周期の隙間にできる、隠れポイントも使えそうなの。新しいワープポイントが開通して、偶然とはいえ出来過ぎよね」
「奥の手、か」
「夜逃げには、これくらい用意周到じゃないと」
「アルフィン」
ジョウの声がぴしゃりと制する。
「亡命だ、気をつけろよ? 本人を前にうっかり口にするぜ」
あたしは舌先をぺろりと出して、おどけてみせた。
「元王女がいるから、扱いが良かろうってな。ねじ込まれた依頼なんだぜ」
「ばっかみたい。王室仕込みのお上品な扱いを期待したって、クラッシャーの船なのよ。そんな心配できる余力あるなら、権力も地位も捨てて逃げる……ことの重大さを噛みしめなさい、ってね」
あたしはデスクからチェアを引き、腰掛ける。左斜め後ろの角度で、ジョウに話しかけた。
「ただ〜、、、足元見てふっかけられたわね」
元王女のブランドを傘に、試しに報酬を倍に引き上げて交渉した。予想より簡単に大金を手にできる運びとなった。
「あるところから、じゃんじゃんもぎとりましょ」
「発想が、もろクラッシャーだな」
ジョウは、くっと笑った。
どんな形であれ、彼に認められると気分が弾む。
「うん、いい所に目を付けた。お手柄だ。そいつを採用しよう」
「やった」
今日はいつも以上にいい仕事ができそう。あたしはさっさとチップの情報を、ブリッジのメインコンピュータに送信した。そしてテレビモニタの画面を元に戻す。
すると、珍しい映像が大画面に広がった。
モノクロで古ぼけた映像。並木道らしき景色が、右から左へとパーンするカメラワーク。ナレーションが聞こえてくる。だけど耳慣れない、かちかちした言語だった。
「なあに、これ?」
「チャンネル替えてないよな」
「うん」
ジョウはベッド上に伸びをすると、枕元にあるリモコンボタンを押した。モニタにダイアログが現れる。番組情報はこれでチェックできる。
「30分の長編もんだと」
「30分? もうショートフィルムじゃない」
「テラの20世紀映画を元に、リメイクしたらしいな」
タロスの故郷であるテラは、宇宙生活者にとっては原点。テラフォーミングのみならず、音楽・映画・ミュージカル・ドラマといったカルチュアの発祥地でもある。
「あれかしら? 伝説のキング・オブ・ポップの作品」
「違うみたいだ、もっと古い。字幕付きらしい」
「わあ、珍しい。見たい見たい」
普通はアテレコかボイスチェンジャーで台詞を再現する。映像を見ながら、文字を読むなんて、右と左の目がおかしくなりそうな芸当で鑑賞することに新鮮さを感じた。
「ねえ、ここで見てっていい?」
「その気だろ」
ジョウはベッドから身を起こすと、壁際に下がった。背もたれにして、右膝を立てて、ゆったりした姿勢をとる。
そして、ちら、とあたしの方を見た。来るか?と声なきお誘いが聞こえる。
―――悩む。
なにせ船室はロックがかかる。プライベートエリアだから。それにベッドとなると、意識するなと言われても難しい。
だけど衛星軌道上にいる訳だから、何かことを起こすのは時間的に無理。特にクラッシュジャケットを脱ぐような行為なんか、絶対ありえない。
成り行きとはいえ、ジョウとべったりできる貴重な時間が降ってきて、すごく嬉しいのに、素直にあの隣へ飛び込めない。
この、あたしの戸惑いに気づいたのか、ジョウは
「心配無用。何もしない」
と、言葉に変換して伝えてくれた。
「ひと仕事前だ、リラックスしようぜ」
「……うん」
あたしは頷いた。四つん這いでベッドを渡ると、ジョウの隣にちょこんと座った。すると彼は左の手のひらを,自分の太腿の上にとんと置いた。ああ、肩は抱いてくれないんだ、とちょっぴり淋しかったけど、あたしは右手をすぐ重ねた。
手を組むみたいに指を絡め、握り合った。
テレビモニタの画面は、大学っぽいキャンパスの風景を投じている。一組のカップルが、会話を楽しみながら闊歩していた。台詞は全部、画面の下方にテロップ表示されている。
「白黒なのに、光の具合で季節や時間帯が分かるのね。おもしろーい」
「結構、字幕と同時に画を追えるんだな」
「ほんと。こっちの方がアテレコより自然に見られる」
ジョウがまたリモコンで番組情報のダイアログを開いた。
「すげえな。1秒に4文字の計算で訳されるのか」
「あ、じゃあ、台詞がまるまる訳されてるんじゃないのね?」
「超訳ってやつだな」
時代遅れどころか、洗練された映像スタイルに感じる。あたし達の時代だと,何でもかんでもリアルに近づけようとする。
ホログラフだったり、自分の声でどんな言語もチェンジャーで翻訳できたり。
技術としては凄いと思う。だけどオーディエンスはひたすら受け身。ストーリーも、ビジュアルも、情報も。
けれど今見ている古い作品は、鑑賞する側に心地よい負荷や課題を与えてくれる。自ら流れを追っていかないと何ら没頭できない、楽しめない。だから作品をひとつ見終えると、何らかの達成感を得られそうな予感。
単に面白そうだと踏み込んだのに、深い興味と関心をもってテレビモニタと向き合えてる。それも好きな人と一緒に。とてもとても贅沢なオフタイムといえた。
「肉声、いいよな」
「言葉は分からないけど、うん、この女優さん声がすごく綺麗」
最初の緊張はすっかり解けて、穏やかに、静かに、
初老カップルのようにひとときを過ごせていた。
―――ここまでは。
映像のカップルは、学生の仲間達とゲレンデへと繰り出した。その後、場面が夜に飛ぶ。
暖炉にはめらめらと炎が踊り、ペンションか、バンガローなのか……ソファやラグがぎゅっと押し込まれている、手狭なリビングに二人はいた。
ソファに座らず、その足元にあるラグで肩を並べている。
『みんな、どれくらいで気づくと思う?』
『明日の朝。そのためにワイン10本調達したんだ』
『スティーブったら。いつから計算高い男になったの?』
『目的の為なら、政治家だろうがFBIだろうが』
『そんなに野心家だったかしら』
『変えたんだ』
『え?』
『ミシェルが』
ソファはバリケード……じゃなく目隠し、なんだと分かった。おそらく別室でパーティーでも開いていて、二人だけがこっそり抜けてきた。
二人きりになれる場所が、誰が来るか分からないリビングしかなかったらしい。スリリングな密会シーンだった。
スティーブとミシェルの逃避行は、つきあい始めのカップルを連想させる。けれど二人はそれぞれ、男女の経験は長けているみたいだった。
かげろうのように、揺れる炎を映した二人の横顔。見つめ合うのはほんの一瞬、すぐさまどちらかともなく、顔を近づけていく。
きゅんとする予感に、あたしは落ち着きを失った。
唇が触れる……どころか、絡み合う。互いの顔を返すがえす、色んな角度から、お互いの味を堪能しあう。
あたしたちのキスと全然レベルが違う。密度も違う。
恥ずかしくて目線を外したいけど、それをすると動揺を悟られてしまう。隣にいる彼に。
『こんなに上手だなんて聞いてないわ』
『誰だっけ? 僕のこと、参考書に欲情する堅物と言ったのは』
『ごめんなさい。私ね』
『誤解がとければいいよ』
そうして二人はまた熱っぽく唇を重ねる。その音まで生々しい。字幕だから、二人のリアルな情事が余すことなく流される。
時折ミシェルが喘ぎを漏らすと、スティーブは本当に幸せそうな、満たされる表情をする。陰影がくっきりと描かれたその顔は、青年を脱ぎ捨て、男そのものだった。
『あったかいな、きみの中』
『あなたもよ……』
『溶けそうに、柔らかい』
『ああ……』
『すごく濡れてる』
『唇だもの当たり前よ。なんだかセックスみたいな言い方』
『同じだよ。きみの中に、僕が入るんだから』
スティーブの甘い囁きに、ミシェルの全身がくたりと力抜けていく。さっきよりも大胆に唇を開け放ち、彼の生温かそうな舌を受け止める様が丸見え。
あたしは、全身の産毛が逆立つくらい、居たたまれない。
頭も耳も頬も、かっかと熱でのぼせそう。
―――ジョウは、この濡れ場をどう見てるんだろう。
気になる……気になるけど、すぐ隣を伺えるだけの勇気がない。
いっそのこと放送妨害が起こらないかしら。もしくは目眩を装って、ベッドの枕元まで思い切りダイブして、映像をオフにするとか。
どぎまぎと、あたふたが、血のように全身を駆け巡る。そんなあたしの心を知ってか、知らずか。突然。
ぎゅうっと右手を締め付けられた。
あたし達は、指を絡めるように手を繋いだままなのを思い出す。
ジョウの様子が右手から伝わる。彼が先に反応してくれたから、呼応できた。そろり、と隣を掬うように向いてみる。
ジョウは立てた右膝に、肘をついていた。もう少し上へと視線を移すと、変わらぬ真顔のまま、映像に触発された気配を匂わすことなく、まっすぐ見ている。ただ、親指をぎりと噛んでいた。
ややあって、こちらの視線に気づいたようで、はっとしてから
「……見るなよ」
と、無表情を崩す。じわりと顔面を赤らめ、そっぽを向いてしまった。
その動きが引き金となって、あたし達は座り位置を少しだけ離した。
テレビモニタの二人が、艶めかしい口づけを交わすうちに、暖炉の炎と映像が同化する。融合する。同時にフェードインで被さってくる、ギターのアルペジオ。パーカッシブな音がざわざわと胸を躍らせる。
たぶんこれは、クラシックギターとは違う。音色の狭間に、ボディを叩く音やひっかく音が混ざる。音が沸騰していく、竜巻のように上っていく。
悲哀と孤独を滲ませたフラメンコというより、男女の悩ましいダンスがしっくりくる曲調。
「サルサ、かしら」
あたしはやっと言葉を継げた。
まるで最初からこのダンスナンバーしか見てない、を取り繕う。濃厚なラブシーンは封じて、早く普通の空気に戻したかったせいもある。
案の定、彼は、かもな、としか応えなかった。
ベッドから降りようか、どうしようか、気まずい空気の中で心揺れる。
19才と17才、カップルとして発展途上、お互い健全な精神と肉体の持ち主、極めつけは相思相愛。キスも知らないネンネなら、不潔だいやらしいだと言葉を叩きつけて、飛び降りられる。けど今のあたしは、それが相手をどれだけ傷つけるか知るようになった。
映像に刺激され、盛り上がって、身体を重ねたっておかしくない。男の生理としてはその方がずっと自然。そして女にだって、抱かれたい欲望があることも分かってきた。
王室では教わらなかったけど、何度もキスや抱擁を交わすうちに、あたし自身の奥底からそう教えられた。
ジョウを好きになって、そばにいつも居たいと思って、ずっと触れていたくなる。
二人だけの時間が増えて、タロスやリッキーには見せない部分を知って、この人をもっともっと分かりたいと思った。
その先に、恥ずかしさや痛みを越えてでも、彼の全部を受け入れたい覚悟もできてくる。きっとこんな風に、男と女は熟していく。どこまできたかは計れないけど、あたし達の関係だって成熟のベクトルを辿っている。
離された、空っぽのあたしの右手。
けどまだ手のひらには、ちりちりと痺れが残ってる。ジョウの感情。
彼に異性と交わる経験があったかは知らない。《ミネルバ》の男連中は、あたしの前ではそういう話題を持ち出さないし、仮に勢いで出たとしても急ハンドルを切って避ける。
ただ以前、バードが言っていた。連合宇宙軍情報部二課にいる中佐は、元クラッシャー。それも評議会議長が率いる《アトラス》のクルーで、タロスとの縁は深い。
たまたま居合わせた場所で、全然脈絡のない話をしている時に、一瞬、差し込まれた過去の話がひっかかる。
「おまえさんは、港の数だけ、恋人がいたもんだよな」
とタロスに突きつけた一言。当のタロスは
「カビくせえ話を持ち出しやがって」
なんてぶつぶつ言いながら、もみくちゃにして話を切り捨てた。
この補佐役の元で育ったのが、ジョウ。あたしの知らない、女性遍歴があるかもしれない。出会う前のことまでヤキモチ妬かせないで欲しいから、ずっと黙っていてと祈る。
だけど、睦み合いの味を知る者と、知らない者には、明らかな温度差がある。身を寄せ合うほどズレが生じる。もしジョウに経験があるのなら、相当苦しいだろうし、我慢をさせてる。
けど彼は優しいから、よほどのことがない限りあたしを立てて、自分を殺すことを選ぶ。それが分かりすぎても、確認する勇気を持てない。
切なくて、苦しい。彼と同じ熱でありたいのに。
だから時々、焦りが過ぎる。あたしを待たないで、無理矢理大人にして欲しいと乱暴な考えが浮かぶこともある。
「そっか……あたし、もう」
心は、バージンじゃない。
彼の熱い想いの矢に、何度も射貫かれている……と気づいた。
「どうかしたか?」
あたしの呟きに、言葉だけ反応してくれるジョウ。
「う、ううん。なんでもない」
―――本当に優しい人。
あたしと彼は、子供一人分ほどの隙間を空けて並んでいる。たった十数センチなのにもう心許ない。そうなんだ、と自覚する。あたしはジョウと、どこかが繋がっていないと不安になる。
依存症、とは違う。
僅かでも離れると、恋しくて恋しくて、求めずにいられない。
分子と分子が引かれ合って、一緒にいると安定する化学結合みたい。肉体は原子や分子の集合体だから,ある意味理にかなっているけど。
ジョウにすべてを晒し、預けて、あの逞しい腕と胸の中からどんな世界が見えるのか知りたい。
こう願ってしまうあたしを許して、背中を押して。誰か。
……だけど、まだ揺れている。優柔不断。
そんな慣れない感情を巡らせているうち、思いがけない行動に出ていた。
「ね、ねえジョウ」
うん?、と耳だけ貸してくれる。
まだ気まずくて、お互い顔を合わせづらい。
「長い休暇って、いつ頃かしら?」
「長い……ねえ」
ジョウが枕元のリモコンを操作する。ギャラクティカ・ニュースにテレビモニタが切り替わった。
リラックスタイムはもう、彼の中では幕を下ろされたんだと察した。顔つきもぐっと引き締まってきている。
「夜逃げ屋、運び屋、特待生のお守り兼ボディガード、そして久方ぶりのテラフォーミング。まとまった休暇となると、3ヶ月は先かもな」
「3ヶ月」
それを長いと感じるのか。それくらい経てば完全に心が固まるのか。
分からない。
分かっているのは、目指す方向はジョウ、彼だけだということ。
「じゃあ、久しぶりの休暇にふさわしい場所、探しておこうかな」
あたしも引き上げ時。
ベッドから降りると、後ろ手を組んで彼に振り向いた。
「リクエストあったら言ってね」
「まあ……任せた」
「張り合いないわねえ」
「だったら」
ぎっ、とベッドが軋む。彼も立ち上がり、チタニウム繊維の手袋をはめながらオーダーを継いだ。
「飛び込みの仕事で、休暇がぶち壊しにならない所」
それはあたしも望むところ。
次の長い休暇はきっと、特別な時間になるだろうから邪魔されたくない。
「オーダー、承りました」
わざと仰々しい口調で場をまとめてみせると、金髪をひるがえして彼の船室を出て行った。