(1)
ジョウの様子が変だ。
銀河標準時間で遡ると、もう一ヶ月近い。
終日、基本、難しい顔をしている。
だが頭痛や腹痛といった体調不良ではないようだ。
アルフィンがつくる食事は毎度、きれいに平らげている。
アラミスから無茶振りされた様子もなければ、
憂鬱なクライアントとの仕事を控えているぼやきも聞かない。
当然、アルフィンは本人に直接問いかけている。
どうかしたの? と。
これに対しジョウは、口端の片っぽをひょいと吊って
「何でもないさ」
と笑ってみせた。
しかし笑顔がぎこちないことをアルフィンは認めた。
が、深く追及できなかった。
ジョウの周りに重苦しい空気が対流している気がして、
強引に割入っていいものか、躊躇いが生まれた。
そして勿論、リッキーも直接問いかけている。
兄貴、なんか悩みでもあんのかい? と。
これに対しジョウは、
「うるさいな」
とバッサリ。
相手がリッキーだからか、それとも図星を指されたせいか、
突っ込むには、リスクを覚悟せねばな雰囲気。
多少は学習しているリッキーだ。
今は拳を無闇に食らうだけと察し、追及をやめた。
様子はおかしいが、仕事や生活面で具体的な支障は出ておらず、
言い換えれば、問題なし、である。
背景も理由も謎で気持ち悪いが、放っておくしかない。
「原因は俺らかなあと、考えたんだけどさ」
ひと仕事終えてシャワーを浴び、さっぱりした〈ミネルバ〉のクルーはリビングにいた。正確には、ジョウ以外の面子が揃っていた。
齧歯類に似た前歯で、リッキーはパイを頬張る。クルミがごろごろ混ざったペースト入りで、普通の間食だと頭が痛くなるほど甘いのだが、仕事を終えた身体には丁度いい。
「心当たりあるの?」
床に沈み込んだ円形ソファで、リッキーとはす向かいのアルフィンが問いかけた。パイとの甘味バランスから、エスプレッソを片手にしている。
「沸々と腹に抱えてる感じじゃん?」
「うーん…、怒ってるのかしら、あれって」
「機嫌は良くないよ」
「確かにずっと仏頂面よね」
「俺らが何か言い出すと、イラッと返すもんな」
指先についた粉糖をぺろんと舐めて、リッキーはソファにふんぞり返る。
その態度を尻目に、アルフィンと対面に就くタロスは
「おめえの場合、特筆する原因もクソもねえや。年中頭痛の種だからな」
と吐き捨てた。
「なんだとーお!」
侮辱発言。両足を振り子にし、反動でソファから立ち上がったリッキー。拳を固めてファイティングポーズを決めたが
「……あほくさ。年寄りの相手は飽きた」
早々にポーズを崩し、どさりとソファに腰を降ろす。不発とは珍しい。
タロスは多少なりとも進歩(?)した様子を視界に収め、湯呑みばりの大きめなカップを傾けると、けっ、と呟いた。
今日はジョウの止めが入りそうにない。ずるずる相手を罵っても白けるだけだ。
二人のやり合いはジェネレーションギャップを埋めるレクリエーションである。年齢やキャリアをすっ飛ばし、関係を馴染ませる潤滑油。本気で相手を凹ませるためではない。
ジョウが普段と違うと、無邪気に喧嘩もできない二人である。
「いっこだけ。兄貴に大目玉くらうかなあってこと、あってさ」
ソファで胡座をかくリッキー。人差し指で鼻の頭をこりこり掻く。
「隠してたの?」
アルフィンの眉間に浅いシワが刻まれる。タロスは関心なさげに、リモコンでテレビモニタのチャンネルを変えた。
「いや、すぐバレっかと思ったんだけど」
「勿体ぶるわねえ」
「なんかスルーされまして」
どやされると腹を決め、覚悟もしたが、空ぶった。回りくどいが、大目玉をくらうと予測する事態は、悪意や故意で伏せちゃいないよというアピールだ。
「実はさ…〈ミネルバ〉のエネルギー計算、間違えちゃってさ」
え? とアルフィンの碧眼が向く。
「こないだ、本当は惑星ブルタスに直行できたんだ」
「うっそお」
驚きのピークを越えると、呆れた、とアルフィンの顔。タロスは振り向きもしない。
──銀河標準時間で、数週間巻き戻す。
緊急補給で寄り道し、時間つぶしにぶらついた宇宙港モールで、いらぬ騒動に巻き込まれた。
そして次のクライアントとのミーティングに、あたふたと滑り込みセーフ。クラッシャーが正式に結んだ契約に、失態は言語道断。言い訳無用。危ないところだった。
リッキーがきっちり計算さえしていれば、立ち寄った惑星での揉め事も、受けた打撲や青タンも、ブティック一軒分の賠償と見舞金の支払いも、不要だったのが明らかにされた。
「あれから日が経ちすぎてんだろ? 気づいたところでほじくり返すの面倒なのかなあって」
「でも知れば何か一言あるでしょ。再発防止のためにも」
「だよねえ?」
そもそもミスをジョウが気づかないのはおかしい。把握しておいて音沙汰なしならば、さらにおかしい。
つまりそれだけジョウの様子が変、にも通じた。しかし動じない人間がここに一人。
「あほうを叱っても時間の無駄だ。今度てめえの口座調べてみな。一連の費用、さっぴかれてるかもしんねえぜ」
タロスは、見物だな、という顔つきでしゃらっと口を挟んだ。
「なんだよう、金で解決かよ」
「クラッシャーは金次第だ。何が悪い」
ああ、そうでした。充分ありうる。リッキーとアルフィンは、互いの顔を見合わせ苦笑した。
「大体だな、リッキーのポカごときでジョウが左右される訳ないだろが」
随分な言い方だが、これまた充分ありうる。
「そういう論法なら、兄貴の場合だと原因いっこじゃん」
リッキーのどんぐり眼がアルフィンを捉えた。
「あ、あたし?」
ぱっと人差し指を自分に向ける。デカチビコンビの視線、その直球を受け止めた。
「全然、身に覚えないわよう」
知ってたら気を揉まないもん、こんなに…、とこぼす。
三人は各々、アルフィンを前にした時のジョウを思い出す。
普通。
いつも通り優しい。
相変わらずもどかしい?
受け取り方はそれぞれだが、アルフィン相手に不満や苦言を抱えている風ではなさそうだ。それが三人の結論。
「じゃあ範囲を広げて、アルフィン『がらみ』ってことで、何かないかい?」
言いだっしっぺのリッキーも、ううむ、と天井を見上げて記憶をほじくる。アルフィンの周辺で、ジョウの様子が変わりそうな出来事。
「は!」
小柄な身体が感電したようにぶるっと身震いした。リッキーの頭上に答えが降った模様。
「あれかも! トレード話!!」
リッキーの発言に、碧眼がまんまると見開いた。同時にタロスはぐしゃりと渋面をつくり、舌打ちした。