(2)
当事者であるアルフィンは知らない話だった。
つまり爆弾発言を投下してしまったリッキーである。
「いいか、ちょいと待て。ここは冷静に聞くんだ」
爆弾の落とし主より先に、傍観に徹していた筈のタロスが身を乗り出した。
アルフィンといえば表情がすうっと消え、能面のよう。元から色白だが、見方によっては血の気が引き青ざめても見えた。
「決定じゃねえぞ。話の進行状況も分からん。なんせ俺も、ジョウから相談も指示も受けてない」
「けど知ってたんでしょ?」
「トレードを『持ちかけられた』とな。その程度の報告だ」
「リッキーが知ってるのは? どうして?」
くるりと首が回り金髪が翻った。
トレードという単語の性質上、口に出せばゴタゴタは予測できそうなのに。リッキーはぺろっと吐いてしまった。
思慮浅く、迂闊、そしておっちょこちょい。しかし実のところ、少年の爆弾発言投下は狙ってのことだった。
ただし経験値低いリッキーの独断であるからして、狙い通りことが運ぶかは…未知数である。
『アルフィン』と『トレード』は、リッキーのイメージでは水と油。分離して、決して混ざり合わない。だから聞かされても、心配のしの字も胸に迫って来なかった。
そう、さっきまで失念していたほど。
ジョウがアルフィンを手放すとはリッキーには信じられない。馬鹿馬鹿しい戯言。ようは明らかにしたところで、動じたり、変わったり、転じたりするとは露程も思っていない。
しかし──
当のアルフィンはざわついていた。自分の知らないところで、とんでもない話が持ち上がっていた。頭も心も不安一色に染まった。
まずは動揺を鎮めたい。それには経緯を、理由を、きちんと知ることが一番。
だから二人に食ってかかる。
「ねえ、どうしてよ」
強く催促された。リッキーは、どうしましょ、とすがる眼差しをタロスに向ける。
知るか、と尻ぬぐいは当人に任せたいところだが、下手な方向に転がってもマズい。グローブのような大きな手で、後頭部をがりりと掻くと
「リッキー、吐け。誰から聞いた」
タロスは渋々、会話の整頓役を買って出た。
ああ、うん…、と肩身狭そうにリッキーが口を開く。
「話を持ちかけてきたのは、クラッシャーハスラムのとこだよ、ね?」
タロスは口を真一文字に結んだまま、軽く顎を引いた。
「ユーマって機関士から、動力系統についての問い合わせがあったんだ。いきなりだぜ? 全然面識ないし。一応アドバイスしてやってから、何で俺らになんだ? と聞いたらさ『うちのリーダーとジョウは親しいんだろ?』って」
リッキーは両手を広げて肩をそびやかす。
「さあ? って返したらユーマが『最近しょっちゅう交信してるし、トレードの話で盛り上がってる』なんて言うからさあ」
「その機関士、ド新人だな」
「あー、そうかも。年格好は兄貴と大差ないけど」
「リーダー同士のやりとりは、目を覆って耳を塞げってんだ。偶然目撃したとしても、あっさり口を滑らせるたあな。そいつ、船から降ろして再教育だ」
〈ミネルバ〉で言っても意味無いが、注意や処分に値する事例だと、二人に分からせる意味も込めてタロスは愚痴った。
「トレードの言い出しっぺはハスラムだってね。向こうの航宙士はキースとかいう35歳、独身。武者修行したがってるんだと」
「まあ、男としちゃありがちな話だ」
「タロスはさわり程度の内容も、兄貴から聞いてないんだ」
「ジョウが話さない。だから俺が知る必要はない」
「そっか」
リッキーは細っこい両腕を前で組む。
「やっぱ、だよな」
「なーにが偉そうに、『だよな』だ」
「アルフィン放出なんてありえない。相談する余地もないってんだ」
すると、じっと耳を澄ましていた影が動いた。
「ねえ、いつ頃の話?」
リッキーは瞬間、空を見上げて記憶をひっくり返す。
「標準時間で…3週間? 1ヶ月前かもしんない」
そう、とアルフィンは胸を撫で下ろした。
「今日まで一度も、ジョウからそれらしい打診受けてないわ」
「あ、じゃあこれでもう解決!」
リッキーはぱちんと指を鳴らした。
「兄貴の様子が変な時期と重なるじゃん? きっとハスラムにどう断りいれようか悩んでんだよ」
「即断即決のクラッシャーにしては、長すぎるけどね」
ふふふ、とアルフィンは笑みを漏らしながら同調。
気も表情も軽くなったのが手に取るように分かる。
「大体さ、ハスラムのチームはダブルAクラスだろ? 俺らたち特Aチームが格下にトレードなんてさあ、どんなメリットがあんだろ」
ジョウが不機嫌でいる原因が、完全に自分から逸れたと確信したリッキー。その舌が一気に滑らかさを増す。
「安心しなアルフィン。俺らたちがバラバラなんてのは絶対ありえない」
「そうよね」
にっこり。ようやく愛らしい笑顔が咲いた。
ところが──
「なに調子こいてやがる」
傷だらけの相貌から、鋭い視線がぎろりとリッキーに向いた。
「ハスラムが格下だと? くそったれが。ランクの基礎知識もねえのか。大体だなあ、おめえ自身なんざ特Aにかすりもしねえんだよ」
むか! とリッキーの顔面が真っ赤になった。しかし寸でのところで、ぐっと呑み込む。
事実なのだから。
ダンの血を引き、恵まれた身体能力と才能に加え、センスと気質そのものがクラッシャーといえるジョウ。そして彼の傍らには、ダンと共に危険の最前線へ飛び込み、ダンが去ったあともヤバイ橋を渡り続けて四〇年のタロス。
この二人がいて、こなしてきた仕事をずらり並べれば、特Aという太鼓判以外に打てる印はない。
「その上、絶対バラバラにならないだと? けっ! ガキが現状維持に甘んじやがって。ジョウでなくても胸くそ悪い」
顔の中心にぐっと皺を寄せた。
この形相はレクリエーションではない。
若い二人は認識した、はっきりと。