BlueのちWhiteところによりPink - BlueのちWhiteところによりPink
(5)
 トレード疑惑から始まった話は、山あり谷あり、紆余曲折を経てピリオドが打たれた。
 数分後。何の予兆もなくリビングのドアがスライドオープンする。
「──ここにいたのか」
 ジョウだ。
 話題の人物登場で、全員に戦慄が走る。射るような六つの目線が一点に集中した。
「な、なんだ?」
 一瞬ひるむ。しかしすぐさま睨みで押し返した。ジョウは三人を端から順にぐるりと見渡す。
 何ら後ろめたくないのに、反射的に顔を背けてしまうタロスとリッキーだった。
 しかしジョウはこれにつっかからず、見て見ぬふり。開いた戸口に立ったまま
「アルフィン、ちょっとブリッジに。いいかい?」
 さらりと誘った。
 今し方の緊張が、電流に変わる。ぴくんとアルフィンの身体が跳ねた。もしや、まさか──三人は同じ考えを過ぎらせた。

「ここじゃダメ?」
 アルフィンが投げかけた。
 タロスとのやりとりで決心がより固まった。もしトレードを差し向けられても、応じない。頑として突き返す。
 だが、いざそれらしい状況に立たされると、膝に微かな震えが起こる。ジョウの口から、ジョウの声で、〈ミネルバ〉から出すと宣告される。考えただけで充分怖い。
 逃げも避けもせず踏ん張る構えだが、正直、アルフィン一人で聞き入れるには度胸が僅かに足らない。
 そばに誰かいてくれたら助かる。
 リビングなら、タロスやリッキーがいる手前、意地でも平静を保てる自信はあった。
 が、ジョウの返事はこうだ。

「個人的な話なんだ。二人の方が都合いい」
 ああ、やっぱり。そういう類の空気がリビングに漂った。アルフィンは微動だにしない。タロスとリッキーはこっそり生唾を呑み込んだ。
 空白の時間。しかし実際はわずか数秒の間。
「…分かったわ」
 アルフィンはすっとソファから立つ。肩越しに目線を流して
「じゃあね」
 と、普段言う必要もない挨拶をタロスとリッキーに放った。
「うん」
 リッキーは拳をぐんと前に突き出す。頑張れよ。兄貴に丸めこまれんなよ。そういうエールだ。
 そしてタロスは、黙ってカップを手にした。しかし中身が空で舌打ちする。あえてアルフィンを無視するポーズで見送った。

 リビングのドアがスライドクローズした。
 ジョウが先を歩く。しかし三歩も進まぬうちに
「ねえ」
 アルフィンは広い背中に声をかけた。うん? と上半身が振り返る。
「ここで聞くわ」
「しかし…」
「ここで聞きたいの」
 アルフィンは通路の壁面に、とんと背中で寄りかかった。
「ほら、二人きりでしょ?」
「…確かに」
「資料やデータを見ながらする話?」
 アルフィンがじっとジョウを見つめる。
 彼は一瞬、頭に何かを過ぎらせてから踵を返した。数歩戻る。そしてアルフィンの前に立ちはだかった。
「仕事の話じゃない…んでしょ?」
 アルフィンは腰を抱くように両腕を回した。身長差、17センチ。碧眼は自然と上目遣いになる。

 目は口ほどに物を言う。
 その仕草からジョウは、自分が今言わんとする内容を、アルフィンはすでに読んでいると思ったらしい。
「察しがいいな」
「そっか…そうなんだ、やっぱり」
 トレード話を切り出される──アルフィンの身体が密やかに、いよいよ強張った。
 けれど逃げない。しっかりするのよ。胸の真ん中に活を入れた。
「じゃあ聞きましょうか。具体的に」
 アンバーの瞳を真正面から受け止める。
 こんな風に至近距離で、当たり前のようにジョウを見つめ返せる日常は、もしかすると最後になるかもしれない。
 ふっと切ない妄想が頭を過ぎった。

 アルフィンにでんと構えられたせいか、ジョウは幾ばくか腰が引けてしまう。
「どこから話そうか…」
 右手を口元に寄せ、親指で下唇をいじる。目も少し泳いでいた。
「お好きなところから」
 アルフィンは気丈に笑顔を作る。しかし腰に回した手は、ぎゅっとベルトあたりを掴んでいた。
 怖い。本当は逃げたいほど怖い。ジョウが躊躇う時間が長いほど、言いにくい内容なんだと空気が重く沈んでいく。

 アルフィンに促されてから、息苦しい数秒間。ようやく、ああ、とジョウは意を決したらしい。
 口元から右手を下ろし、腰に引っ掛ける。さて、と踏み込んだその勢いで言を継いだ。
「俺も初めてのケースでさ」
「ええ」
「どうしたらいいのか迷った。正直」
 そう、と囁きで相槌。
 アルフィンは緊張でどきどきしてきた。心臓が喉から飛び出そうとはこのこと。暴れすぎて胸から喉にかけて、痛い。

「散々考えた。今日まで見てきたアルフィンを思い返して、どうすることが一番だろう…てさ。このところずっと、仕事のスイッチを切った途端、きみのことで頭がいっぱいになった」
 ふっと瞼を伏せる。気まずさを微かに滲ませた表情だった。
「…ジョウ」
 まさかこんな形で、大好きな人から大好きな声で、甘酸っぱい言葉を聞かされるとは夢にも思わなかった。
 アルフィンの感情の振り子はいよいよ危なっかしくなる。ぷちんと糸が切れたら、どこへ飛んで行くか分からない。
 けどそれは駄目。堪えよるのよ。きゅっと下唇を噛んだ。

 その直後ジョウの瞳がぱっと見開いた。
「それで結論」
「…うん」
「俺じゃ答えが出なかった。悩むばかりで時間だけ無駄に過ぎちまった。情けない。だから情けないついでに、アルフィンに全部白状する」
「そう…」
「まあ、こうくっちゃべってるのも、長ったらしい言い訳みたいだが」
「ううん。そんなことない」
 アルフィンは一歩前へ出た。両手を後ろ手に組み直し、上体を前に折る。とん、とおでこをジョウの胸に当てた。

「あたし今、すごく感動してる」
「……」
「ジョウがそこまで、あたしのために」
「当然…だろ?」
 アルフィンから表情は見えないが、声に熱が孕んでいた。ジョウは相当に動じている。それがひしひしと伝わる。
 全く気乗りしないトレード話だったが、ジョウがどれだけ心を砕き、考え抜いてくれたのか。
 おでこを通し、彼の胸に直接聞き耳を立てて、アルフィンはじんわりと幸福感に包まれた。

 クラッシュジャケットの特殊繊維から微かに、普段より早い鼓動が伝わる。アルフィンのどきまぎと、ジョウのそれとが同調する。
 溶けるように、響き合う。
 ああ…もう。アルフィンは溜息を漏らし、両腕を広げるとそのまま身体を擦り寄せた。ジョウの前身にぴたりと密着する。
「お、おい」
 動転で声がわずかにひっくり返った。
 ジョウの両手が宙に浮く。しかしアルフィンの肩に掛けることも、背中に回すこともできない。
 ただ不格好なまでに、両指が空を掻いていた。

「あたしの意見を言ったら、叶えてくれる? 絶対に」
「絶対と決めつけられると…」
「して、約束」
 アルフィンの方が先に、ジョウの背中に両腕を回す。がっちりした体躯を完全包囲できないが、きゅうっと女の力で締めつける。
 あ…、とジョウの渇いた声。同時に、特殊繊維の向こうで鼓動がシフトアップする様が、生々しくアルフィンの耳朶を振動する。
「…ど、どうした?」
 金髪頭のつむじの辺りに、ふんわりと声が降る。ジョウが見下ろし、問いかけてきた。
「…妙だな」
 ジョウの両手がようやく双肩に掛かった。アルフィンの全身全霊をかけた抵抗が、いよいよ封切られる。

 チームリーダーの命令とされない限り、拒否し続ける。トレードなんて嫌。あたしは生涯あなたといる。
 自分たちは恋人の関係ではない。
 素直に感情を晒しすぎれば、過激と退かれ、興醒めさせる心配は充分ある。アルフィンの感情が、ジョウにとって単なる重圧でしかないと、むしろトレード話は利用され、準備はとんとん拍子に進むだろう。
 距離を置こう。お互いのためにも。そんな理由で〈ミネルバ〉を降ろされかねない。けれど体裁を気にしすぎて、あがかなかったらそれもまた後悔。アルフィンはよく分かっている。

「絶対絶対って、おかしかないか?」
「じゃあ言わない」
「そいつも…困る」
「だったら約束」
「ああ。分かったよ」
 埒が明かないと悟り、ジョウが折れた。一つ目の要望が通り、小さな安心を得る。じゃあ、とアルフィンは深呼吸。
 くっと顎を上げて、アンバーの瞳を直視した。
「ぱあにして」
「──?」
「あたしは、無かったことにして欲しい」
「無し、だ?」
 ジョウは両目をしばたたかせた。

「なんでだ?」
「嫌だからよ」
「ちょ、ちょっと待て」
 アルフィンの両肩をぐいと押す。二人に少し隙間が生まれた。
「なんでだ?」
 ジョウは機械のように同じ言を繰り返す。
 だからアルフィンから距離を縮めた。つま先立ちになり、顔をぐっとジョウに寄せる。
「嫌だからです。言ったわよ、あたしの意見。守ってね、約束よ」
「……」
「絶対よ」
 再び回した細腕に力を込める。まさにすがりつく、というやつだ。
 
 ところが、ジョウは無表情のままだ。しかしよくよく覗くと、瞳の奥がふつふつと滾っている。腹を立てている風にも見えた。
「無しは、却下だ」
 低く、ぴしゃりと叩きつけられた。
「えー! どうしてよう!」
 アルフィンに焦りの色が滲む。その場でじたばたと飛び跳ねた。
「あたしの気持ちを優先してくれるんでしょ!」
「じゃあ俺の立場は?!」
 剣を含んだ声で突き返される。
 う…、と思わずアルフィンはたじろぐ。チームリーダーの権限を、大鉈のように振りかざす幻が見えた。

 マズい。
 このままでは命令が下される。チームリーダーの決は絶対だ。大ベテランのタロスでさえ逆らえない。アルフィンの顔に蒼みが射した。
 約束もクソもない。
 ジョウがそうやって話し合いを放棄したらジ・エンド。部下として従うしかない。

 ああ、やっちゃった…。一人苦々しさを噛みしめる。
 しゅんと小さな頭を下げ、踵は力なく着地した。終わる。〈ミネルバ〉での生活がこれで終わってしまう。
 ピザンを出てクラッシャーになりたい。国王と王妃には理路整然と順立てて、熱意は終始同じボルテージを保って説得できたというのに。この人の前では上手く振る舞えない。
 話術や小手先に頼ってはジョウに響かない。しかし何が何でも直球が最善という訳でもない。

 ちょっと待って、まだ早まらないで。
 そうよねリーダー同士、チームを考えての交渉ごと。クルーを悪いようにはしない話だって分かってる。メリットあってのことなんでしょ?
 まだ決断しないでね。あたしにも経緯と考えを聞かせて? 時間稼ぎとかじゃなくて、ちゃんと聞いて、ちゃんともう一度心の整理をつけたいから。今はまだ放出しないで。命令をかざして、あたしのトレードを決定しないで。

 走馬燈のように、様々な感情がアルフィンの内側を巡る。頭のてっぺんに、ジョウの決断がいつ振り落とされるかびくつきながら。冷静に冷静にと自分に言い聞かせる。
 心を保つことに一点集中。そこに…ジョウの声だ。

「アルフィンに無しと言われちまったら、散々悩んだ時間があほらしい」
 ──え?
 碧眼がぱちくりと瞬く。
「確かに俺は、そういうお返しとかは苦手だ。求めないことが、きみなりの気遣いというか優しさなんだろうが」
 ──え? え?
 足元を見下ろしながら、耳から入ってくるこんがらがった情報を、アルフィンはせっせと懸命にたぐっていく。
「けど俺にも感情はある。アルフィンを喜ばせてみたい。驚かせるのもいいかなってな…慣れない頭をフルに使って、銀河ネットワークで妙案がないかと探しまくったさ」

 ──え? え? え?

 ジョウの告白はほどけるどころかダマになる。疑問符の重みにいよいよ耐えられなくなった。
 ただ一点、解決の糸口は見えた。アルフィンとジョウはどうやら『論点が違う』らしい。
「ちょ、ちょっと待って」
「なんだ!」
 吐き出すうち、悩みに翻弄された過去が蘇ったのだろう。相容れないもどかしさと、慣れない気恥ずかしさと、しかしそれでもアルフィンに何らかのアクションを起こしたい欲望とが彼の中で混沌としていた。

 ジョウの顔がそれを物語っていた。もどかしげな困惑を晒す。
「あたしに返すって…何を?」
 とぼけてはいない。
 誠心誠意、これでもかと純粋な気持ちで問いかけた。
「一体全体、なんの話をしてるのよ」
 はあ? とジョウの眉がぐいと歪曲した。
「あれしかないだろ!」
「あれ…って?」
「この時期に返すと言ったら…ホワイトデーってやつだろうがっ」
 言い終わるやいなや、精悍なその顔をかっと赤らめた。


まぁじ ( 2014/05/01(木) 00:45 )