BlueのちWhiteところによりPink
(7)

「ジョウの独断や一存は無し。必ずあたしの意見や考えを聞いて。どんな些細なことも厳守して」
「そいつは──」
 抱擁が完全に解けた。
 ジョウの両手がアルフィンの双肩に戻り、引き離された。二人の間に空間が生まれ、ほどほどに距離を保つ。
「そいつはホワイトデーにねだる代物か?」
 俯き加減のせいで、長い金髪はベールのよう。アルフィンの表情をうまく確認できないジョウだ。
「だって、チームリーダーの命令は絶対でしょ」
「ん、まあ、そうだが」
「──怖かったの」
「?」
「さっきの話。ハスラムのチームに行けって命令されたら終わりだわ…て。すごく、すごおく、生きた心地がしなかった」
 すっと両膝で立った。勢いを殺さず、またも抱きつく。
 どん、と鈍い音と一緒にジョウは抱き留めた。通路の壁にまたも押し戻された。
「あたしの気持ちを無視しちゃ嫌」
 細腕が首に絡みつき、指は癖の強い黒髪を掻き抱いた。

「モノより約束がいいの」
「……」
「命令を振りかざさないって。その約束が欲しい」
「ん…、分かるんだが」
 ぴたり、とアルフィンの動きが止まる。
「そいつはできない」
 息を呑むと同時に、アルフィンは上体を引き離した。ジョウの胸に両手を置き、不服げな面を突きつける。
「そう怒るなよ」
 ジョウは困惑をなんとか苦笑にまで引き上げた。

「違うわ。哀しいの」
「無理強いしない約束は、まあ…譲歩していいだろう。だが命令権は放棄できない。チームリーダーである以上」
 特権に固執したいの? そんなトゲを含ませた、愛らしい面立ちは微動だにしない。むっと見据え続ける。
 ジョウは右手を、肩から金髪の頭頂へと移す。
 ぽん、と軽やかに乗せて
「ついてきてくれる仲間に、俺が出来るのはきっちり面倒を見ることだ。追い詰められても、後がなくても、リーダーとして命を預かる以上守りきる。そのためには絶対の権限が要る。だから放棄はしない。できない」
 ひと息に重い言葉を吐いた。その堅苦しさを相殺するように、ジョウはふっと笑顔を作った。
 真意が分かったアルフィンは、猛烈な感情に突き上げられた。

 ジョウが本気で命令をかざすのは、自己都合や仕事最優先のためだけではない──仲間のため。
 おそらく自分を棄て、屍になっても、絶体絶命の万策尽きた時の切り札。そういう意味合いに受け取れた。
 アルフィンやリッキーの駄々や言葉のあやで、『命令だ』と場を鎮めたことは何度かある。が、それは単なるポーズと知る。
 お前たちで逃げろ。アルフィンだけでも助かるんだ。ジョウが本気の絶対命令を出すとしたら逼迫した場面だろう。
 生死の狭間でも仲間の無事を諦めない奥義。これが命令権を放棄しない理由…とアルフィンは読み解いた。
「…あたしったら」
 だらん、とジョウの胸元から両手が離れた。
「あたしったら…」
 ぱっ、と両手が顔を覆う。
「軽々しく…なんてこと。ごめんね」
 浅く呼吸を乱しながら、アルフィンは呟いた。

「お、大袈裟だな」
 ジョウは狼狽えた。
 痛めつける返答をした覚えはないし、何よりアルフィンが自滅している理由もさっぱりだ。
 どこをどう触れて場を修めればいいのやら、と迷う。
「泣くほどの話じゃないだろ」
「…泣いてないもん」
「だったら顔上げろ」
「泣いてませんってば」
 ぱっと両手を下げた。宣言通り涙は見られない。しかし瞳は充血し、鼻の頭も朱を帯びている。
「何を空回りしてんだ…」
「…だあって」
「いいか、単純な話だぞ?」
 努めて声を和らげた。

 ジョウは思う。
 青天の霹靂だったのだろう、トレード話は。実はこうした要請は今回ばかりではない。
 アルフィンへのラブコールは本当に多い。増加の一途を辿る、ずっと隠してきたが。今日まで、本人に確認する間もなく全部揉み消してきた。
 この一件も同じで、機械的に淡々と掃いて捨てる感覚でいた。
 しかし慣れが迂闊さを生んだ。もっと細心の注意を払い、アルフィンの耳に届かぬよう処理すべきだった。
 今にも泣き崩れそうな顔を目の当たりにして、余計に胸が痛む。

 安心しろ、絶対にきみを手放さない──と言えれば楽だが、そうもいかない。これはジョウの願望。押しつけられない。
 アルフィンから正面切って、意志や考えを尊重して欲しい、と言われたのだ。余計にその思いは強まった。
 だったら話をとっとと戻そう。
 話題をニュートラルなものにし、これ以上ぶつかり合わぬよう、余計な操作を仕掛けない。もう触れない。もう静かに放置する。
 そんな風にしてジョウは、話の流れをホワイトデーへ舵を切った。

「俺が聞きたいのはリクエストだ。手作りチョコレートと、限定モデルの腕時計。それにふさわしいお返しってやつを、本来俺が悩み抜けばいいんだが、降参した。だから助けると思って我が儘言ってくれ…てことなんだぜ?」
「単純どころか…長いわ」
「じゃあ欲しいものを言ってくれ」
「ただのプレゼント交換みたい」
「ならどう言やいい…」
「怒るし…」
「怒っちゃいない」
「そういう顔してるもの」
「こいつは生まれつきだ」
 ぷ。
 アルフィンが吹いた。両手で口元を覆い、肩を小刻みに震わせる。

 ジョウは安堵する。ようやく笑いをとれた…と思ったのだが
「あああああ」
 ぎょっとした。
 アルフィンは顔をくしゃりとほころばせ、笑ったかと思いきや、涙をぽろぽろ流し始めた。
 ことの展開を、ジョウはまったくコントロールできていない。
「な、なんなんだ?!」
「笑ったら…泣きたくなったのよう」
「はあ?」
「ほっとした…ら勝手に、涙が…」
「お、落ち着け」
「ジョウ〜〜!」
「いて!」

 体当たりで抱きつかれ、ジョウは通路壁に後頭部をしこたま強打した。
 加えて胸板をぽかぽか殴られる。責められてるのか八つ当たりなのか、女心がさっぱり分からない。
 しかしもう諦めた。
 大きく嘆息をつく。その後、宥めるように言い添えた。
「気が済むまで、好きにしたらいい…」
 ぶっきらぼうな口調。だがそれに反しジョウの長い両腕は、細い身体を抱きくるめてやった。

 抱擁を受け止めながら、アルフィンはまた胸が詰まる。色々な感情がいちどきに押し寄せてくる。
 どうして急に泣けてきたんだろう? 自身も戸惑っていた。
 タロスとの話で、改めて思い返した仕事に対する決意。ジョウお悩みの真相。生涯の家と、血縁のない家族の存在。このわずかな時間で色々な思慮がめまぐるしく脳内を駆け巡った。
 そもそもアルフィンはこの一年、常に無我夢中でいた。仕事を覚え、フィジカルを根本から鍛え直し、食事や身の回りの世話。仕えの者がいた王室暮らしとは真逆の日々。ホームシックにかかる間もなく、前へ前へと進んできた。

 頑張り続けているところに、新たな負荷が降りかかった。ようするにオーバーブロー。そしてジョウの支えに、抱擁に、かちんとロックが外れた。無意識に張ってきた緊張を、無理するな、と解かれたせいだ。
 誰かが何とかしてくれた王室暮らしから、我が身の全ては自分次第というクラッシャー生活。順応できなければ失格だと、アルフィンはずっと食いしばって来た。
 だがジョウが、チームリーダーが、どんなことがあっても後ろ盾になってくれる。安心しろと守ってくれている。一人で立ち、踏ん張っている訳ではないと実感し、言葉にしにくい力がじわじわ浸透してくる。

 去年の今頃は国賓を迎えるにあたり、宮殿に飾る花のアレンジメント・プランや、晩餐会でのテーブルウェア選びを任された。
 その合間に新調するドレスのフィッティングや、ティーブレンダーとの打ち合わせなど、アルフィンは引っ張りだこだった。
 まさか一年後に、華々しさから決別すると誰が予測しただろう。

 武装に等しいユニフォームで、誇りと汗にまみれて働き、時には傷や筋肉痛に悩まされる。
 男たちの空腹を満たすためキッチンに立ち、習慣のないアフタヌーンティーやショッピング、バースデーパーティーといったイベントを生活にもたらす。
 散らかしっぱなしを厳重注意。ワッチの担当にはコーヒーの差し入れ。疲労度に合わせたサプリメントやドリンク剤の押しつけ等々。
 気づけば〈ミネルバ〉の生活クオリティは、アルフィンの働きによって格段に上がった。
 気楽な男所帯とは異なり、多少渋々で、面倒に感じる日もある。しかしアルフィンのおかげで、明日への活力がしっかりチャージできていた。

 大変は大変だ。アルフィンはしみじみ実感する。
 とんでもない所に、自分の拠点を置いたものだと我ながら感心したりもする。王室からすると此処は別世界。随分と遠くまできたとさえ思う。
 しかし自ら選んだ人生。自ら拓いた人生。当然、悔いはない。

 そして何よりも、追った相手が振り向いてくれる。密航者の自分を仲間と認め、今しがた身を賭しても守ると明かしてくれた。
 離れがたくて、追いかけた。見返りなど求めずに。
 そんな当初と比すれば、勿体ないくらい幸せな現在。しかもチョコレートとちょっとしたプレゼントに対し、ジョウがここまで真摯に、真剣に向き合ってくれていたとは…。嬉しい誤算だ。

 頭の中はまだ少し混乱をきたしている。
 だがひとつずつ整頓していくと、自分は結局恵まれているのだとアルフィンは気づく。王女の名残か、幸福の一人占めは性に合わない。分かち合いたいし、応えたい。
 そうなるとまず、目先のジョウの想いを汲むべきだろう。
 ホワイトデーは何がいい? 得意でないのに再三にわたる催促。そろそろここらでリアクションを起こさないと、本当に金輪際、何も言ってこなくなりそうだ。

 じゃあ何にしよう。アルフィンはようやくリクエストと向き合う。答えは…案外すぐに浮かんだ。
 ただこれは、ジョウが受諾できるか否かにかかっている。
「落ち着いたか?」
 ジョウから身を離し、再び通路にぺたんと尻を据えたアルフィンに問いかけた。
「ん。もう平気」
「精神的に疲れてるんじゃないか? 浮き沈みがこう激しいと」
「大袈裟ね」
「…そうか?」
「女の子は多かれ少なかれ、こういうものよ」
「ほー」
「スプーンが転がっただけで、笑ったり泣いたりできるの」
 ふうん、とジョウは前で腕を組む。納得してないが、深追いしても女心。理解に限界がある。

 まあいいさ。そんな空気が流れたところに
「ねえ。さっきの言葉、嘘じゃないわよね?」
 とアルフィンの再確認だ。
「ホワイトデーのこと。途方もない我が儘でもいいんでしょ?」
「ああ。二言はない」
 ジョウはぐっと顎を引いた。
「くれたら一生の宝物になるわ。きっと」
 そういうのを待っていた、と言わんばかりにジョウの表情が晴れた。
「言ってみろ、なんだ?」
「その──…スが欲しいの」
「うん?」
 あろうことか、ジョウは聞き逃す。というよりボリュームが落ちたのが原因。少し身を乗り出し、片方の耳を傾けた。
 もう一度言ってくれ。その眼差しに、アルフィンはすぐ応じてくれた。

「あのね…キスを、頂戴」


まぁじ ( 2014/05/05(月) 00:04 )