【2】
このホテルにはヌーディストビーチがあると聞いている。
それは人工の限られた一角で、そうした生活習慣をもつ惑星の人達のための場である。宇宙生活者のクラッシャーは、当てはまらない。しかしピザンは本質的にどうなのかは知らないが、過去一度たりとも、アルフィンが生まれたままの姿で海に出たことはない。
なぜ今? どうして急に? いやそれよりガウンかタオルを取り寄せなければ……と、くたくたを忘れて脳が高速回転する。同時に、はらはらとした不安が押し寄せる。が、身体はぎしぎし錆び付いて普段通り行動に移せない。
「あら? ジョウ起きてるの?」
ぎゅる、とジェルが彼の身体の下で波打つ。アルフィンが左手を支えにして、猫のようにしなやかに乗り出したせいだ。胸の前にかかっていた一房の金髪が、はらりと揺れる。
あ、やばい──と、ジョウはぎゅっと両目を閉じた。
「寝てるならそっとしておこうとおもったのに。ねえ、違うの?」
くにゅ、ぷるん、とジェルの波が到達する。彼の脳裏に、アルフィンが四つん這いでにじり寄る光景が浮かぶ。まずい。まずいだろ。全裸は。愛くるしい顔、そして首の下からたわわにゆれる無防備な膨らみが描かれ、ジョウの若い身体は昂ぶりを感じた。
「んもう、たぬき!」
ぎゅと鼻先に痛みが走る。ぶはっ、と思わず大口を開けてしまい、つられて両眼もオープンしてしまった。わああ、と声も出せないほどジョウは焦る。
腹筋で起き上がればキスできそうな至近距離、そしてぴったりな角度にアルフィンの顔。滑らかな白い肌に覆われた肩、首、鎖骨まわり……この肌が艶めかしいあれやこれやのパーツと繋がっていると考えただけで、黒い感情がもんどりうつようにうねる。おかげで眼球を、これより下に向けられない。
「なんか変よ。一体どうしちゃったの?」
すっ、とアルフィンが身体を退いた。ぺたん、とその場に腰を落としたため、彼女の前がまるまる晒される……と思ったのだが、ジョウはやっと違和感に気づく。
「──?」
アルフィンの首から下が、つるん、としている。マネキンのプラスティックボディのように、つるつると、色の濃淡も、女体にあるべきものがない身体つき。何を目にしているのか一瞬戸惑った。
やがて、その姿かたちを理解する。
水着だ。アルフィンは、当たり前だが水着を着用していた。今年流行のヌードピーチという薄い色合いのビキニ。アルフィンの肌の方が抜けるように白いため生地との境目ラインはあるのだが、ぼんやりとした視覚だと水着と肌が溶け込み、オールヌードかとドキッとさせる。
ジョウの場合、疲れが錯覚をより強く引き起こしたかもしれなかった。ほお、と肩でひとつ大きく息をつく。
「驚かせやがって」
「え? なあに?」
「いや、……なんでもないさ」
ジョウは両手を頭の下で組んだ。そして、むすっと再び瞼を閉じる。
「続ける? お昼寝」
「ああ。リッキーと遊んでこいよ」
「あの子シュノーケリングにいっちゃった。さすがにあたしも、そこまで体力ないもん」
「退屈だぞ、ここにいても」
「ううん。ジョウがいるから、いい」
きゅんと胸の奥に甘酸っぱさが駆け抜けた。
「……、……」
すごく可愛いことを呟かれて、ガラにもなくジョウはときめく。と、同時にアルフィンが不憫に思えてきた。ここは男として無理してでも遊びに同調すべきか……と。頭と心は分かっているのだが、身体がどうにも重くていけない。
「それにね」
とアルフィンが言いかけたところで、失礼します、と断りが入る。うん? と瞼だけ開けたジョウの視線の先に、パレオをワンピース状に巻き付けた女性がいた。トレイに、真っ白で大きな、マッシュルーム型のデザートを乗せている。
「ありがとう」
アルフィンが両手で受け取ると、デッキチェアが自動感知してベッド部分が変形。小さな円柱が迫り上がった。スツールのしくみと一緒で、こちらはミニテーブルである。
「見て、ふわっふわのかき氷。モグラ生活から抜けると、いろんなものが眩しく見えちゃって。ふふ、我慢できなかったの」
色気より食い気か。
ふっと口角が上がり、ジョウの気持ちと身体に落ち着きが戻ってきた。オールヌードか? と二度見を誘う見事なプロポーションでありながら、仕草や行動にあどけなさが残る。アルフィンは少女と女性がまざりあう、人生のほんの一瞬の時期に今いるのだとしみじみ噛みしめた。
だからブレーキが利く。
男のはしたない欲望がもたげても、アルフィンが純粋無垢すぎて、手出しを躊躇う。おかげで男所帯の船に、年頃の女の子を乗せても健全な生活と仕事を維持できている。また元王女という身持ちの堅い生い立ちも、ジョウたちにとって好都合と言えた。彼らも紳士的な振る舞いを、自然と心がけるようになっていた。
「あー、冷たいのか、冷たくないのか、もう分かんない」
スプーン片手にアルフィンはころころと笑った。マッシュルーム部分が半分ほど小さくなり、器を縁取るように並べられたカットフルーツを行儀悪く指でひょいと摘み上げた。
「見て、マスカット。宝石みたい」
片方の碧眼にかざし、はしゃぐ声。ジョウが、腹壊すなよ、とシラけることを口にするものだから、子どもじゃないもん! と反論。そして宝玉のように艶やかなマスカットを唇に当てて、ちゅ、と音を立てて吸い上げた。
その横顔に、どくん、とジョウの心拍が大きく跳ねる。
「……ん、すっごい、ジューシー」
アルフィンは器用に、肉厚な皮からつるんと果肉を吸い込んだ。ところが想定以上に果汁を内包していたらしく、一滴、二滴、と唇から溢れて顎を伝っていく。
アンバーの瞳はその光景に釘付けとなり、したたり落ちる果汁を目線で追いかけていた。途中で、ごく、と喉仏が大きく動く。意外に手こずる完熟マスカットは、さらにアルフィンの指から手首までたらたらと、だらしない筋を伸ばしていく。
「やだ。子どもみたい」
ばつが悪そうに笑って誤魔化す。
そしてアルフィンは痕跡を消そうと、ごくごく自然な挙措で、手首をぺろりと舐めた。自分の身体を自分で手入れすることは、犬や猫だって当たり前にやる。
しかし。
ジョウにはたまらない光景として、網膜に色濃く焼き付いてしまった。胸の底から熱いものがこみ上げ、悟られぬようガス抜きとして、ふうと吐き出す。そして両の瞼をぎゅうっと閉じる。刺激的な光景を一方的にシャットダウンするのだった。
ところが。無情にもアルフィンの小さなハプニングは続く。
「きゃ……っ」
その悲鳴にジョウは、うっかり反応してしまった。目が勝手に追う。
「やん……。落ちちゃった」
顎をぐっと引いて、冷たあい、とアルフィンは眉根を寄せる。大きなスプーンひと掻き分、雪のようなふんわりした塊が、胸の谷間にぽてっと落ちていた。そしてアルフィンの体温でみるみる溶けていき、さすが普通のかき氷より消えていくのが早い。
見てみてジョウ、とアルフィンのノリは軽い。理科の実験をお披露目する感覚で、面白いでしょ? 早すぎるでしょ? と胸の谷間をぐいと見せつけた。あっという間だった。あっという間に、アルフィンの谷間に甘い滴が吸い込まれていく光景に、あんぐりと引き込まれたジョウである。
クラッシュジャケットごしのシルエットと違う。ここぞとばかりに、寄せて上げて。ジョウたちが見慣れているよりずっと、豊満なバストライン。それも甘いシロップをまとわせた、美味しそうな胸元。
哀しいかな、ジョウの身体が次々と覚醒してしまう。喉から手が出るほど、むしゃぶりつきたい衝動がまず突き上げた。今まさに両手を伸ばせば、男の力でねじ伏せれば確実に、谷間に溜まった甘い甘い天然のジュースにありつける。味見なのか愛撫なのか欲求がどこに向いているのかもう分からず、ただ舌がうずうずと熱を帯び、狂おしいほど欲してくる感覚。かろうじて理性にしがみつき、ジョウは必死に呑み込むのだった。
「あーん、ベタベタする」
「海に、飛び込んで、こい」
やっとそれだけ言うと、ごろりと体勢を入れ替えた。
うつ伏せて、アルフィンに背くよう後頭部をさらす。だめだ、だめだ、だめだ。顔が分からないのをいいことに、ジョウは両腕を自分に回し苦悶した。
「うん、食べ終わったらそうするわ」
アルフィンは彼の悶絶をまったく知ることなく、幸せのひとときをマイペースに堪能し続けた。そして行儀悪くフルーツを次々と指で放り込み、瑞々しい音を唇から時折漏らしながら味わう。
食べる、という原始的行為が、これほどエロティックな音で充ち満ちているとはジョウは今まで考えもしなかった。頬張る、咀嚼する、すする、舌鼓を打つ、舐める、嚥下する。子どもなら気づかないことも、大人には生々しく響いて息苦しい。
ああ……、狂いそうだ。
アルフィンには決して聞かせられない雄の声を、ジョウは腹の中で孤独に毒づくのだった。