【3】
ミスったな……。
ジェルマットに突っ伏しながら、ジョウは困り果てていた。
1ヶ月近い地下空間生活は、ガレオンの車内と仮設テントという最低限の環境を整えただけで、プライバシーや快適さは二の次どころか、相当後回しにされていた。しかし仕事中はそれで充分。仕事以外、食うか仮眠しかないからだ。
しかし19歳の肉体には不健康きわまりない状況。15歳のリッキーにも言えるかもしれないが、深刻さは明らかにジョウが上。生理的なコントロールがまったくできておらず、欲求はプール状態で溢れそうになっていた。
メンタルがほとほとやられると、理性的かつ合理的な思考がうまく働かず、欲求や感情は単純化されていく。ただ休みたい、ただ眠りたい、ただ食べたい、そして、ただやりたい。30分もなかったが、墜落するような深い眠りを得られたことで、ジョウの身体はひとまず緊急を要する休養は満たされていた。
おかげで、後回しされた欲求が、我も我もと押し寄せてくる。アルフィンの食いっぷりを傍観して感じるのだが、食欲と性欲は背中合わせな関係かもしれない。どちらも快楽を伴い、どちらも幸福感を得られる。
いや、少し違うか。
ジョウは左の頬をジェルマットに押しつけて思う。男の場合は時として空しい。愛する者を慈しむ機会より、自らを慰めるだけの瞬間の方が圧倒的に多い。それが気楽と割り切る輩も多いが、好きな女がいないから言えるのではないかとジョウは思う。
もっと知りたい、求めたい、交わりたい。理窟ではなく本能がそう強く望む衝動を、他の男たちはどう散らし、誤魔化しているのだろうか。ひとつのチームを背負って立つ自分には、学生のような同世代間の学びや遊びがなさすぎて、分からないまま今日に至ってしまったと自覚する。
後悔はない。
ただ、まずいなとは分かっているジョウだ。
アルフィンが予告通り海に向かったおかげで、興奮がクールダウンしてきた。逃げたくても、逃れられない男の事情に陥っていて、うつ伏せ姿勢を戻せないでいた。水着だと余計に気を遣う。
そろそろ行けるか。
腕立ての要領でジョウは両手をつき、ぐっと上体を起こそうと思った。ところが、ぐえ、と潰される。何かが上から下半身をプレスしてきた。
「お辛いところおっしゃってください。お客様」
「……ア、アルフィ……」
起き上がれず、両肘をついた格好で首だけ振り返る。肩越しに見た光景にジョウはぎょっとした。アルフィンがジョウを跨ぎ、腰をどすんと落として乗っているではないか。
「ここのツボ、効きますか?」
「う゛―っ……」
びくん、とジョウの顎が反る。アルフィンの親指だろうか? 尾てい骨から上、えくぼのような窪みが並んだあたりをぎゅうぎゅうと指圧する。
「やっぱり、張ってる」
「……、……っ」
彼の疲れを慮って、見よう見まねのマッサージを始めるのだった。
共に仕事をこなし、グロッキーした彼女らに代わってチームリーダーとベテランは不休で惑星パレスまで運んでくれた。会話も弾まないほど疲れ切っているようだからと、施術での恩返しは理解できる。が、しかし。
ビキニはまずいだろ……っ。
急ぎジョウは体勢を替える。両腕を前に回して、そこに額を乗せた。一見、腕枕のようだが、俯いたままどこからも表情が窺えないようガードしている。寸分も感情を読ませない、こめかみに浮かぶ青筋も、汗も、上気する頬も、一切アルフィンに悟られてはならないと必死だ。
「背骨の両脇、張ってるのか、鋼の肉体なのか分からないわね」
「……悪かったな、固くて」
「素敵よ。男らしいもの」
「らしい、……じゃ、ない」
「はあい」
腰から肩胛骨に向かってぐいぐいと指圧が上がっていく。刺激が分離することで、より一層部位がはっきりしてきた。いた気持ちいいのがアルフィンの両手で、包み込むようにジョウの太腿裏を圧迫するのが彼女の尻と内腿。
困惑するくらい、腰周りの具合が良すぎる。桃のようにふっくらと左右のボリュームバランスがとれていて、肌がぴんと脂肪を抱き込んでいるのが分かる。女性特有の重量感と厚みに、ジョウは奥歯を食いしばりながら感触を堪能する。
アルフィンはスリムだがガリガリではなく、男にはない弾力と柔らかさをもっていて相当に抱き心地が良い。クラッシュジャケットごしでは、これも知り得ない事実だ。
「よいせ」
「お……おいっ」
ぴくん、とジョウの上体が過敏に反応した。届かないんだもん、と悪びれもせず、しゃらっと答えるアルフィン。ジョウの尻の上に、でんと座り直した。そのうえで指圧の続きをぐいぐいこなす。
これは若い肉体に相当堪える行為。すっかり怒張した前が、ジェルマットにずりずりとリズミカルに埋め込まれるようで、男女の交差を連想させる。
「……、……くっ」
こんな場面でいかされてたまるか。
ぎりぎりと精一杯食いしばるが、歯列の隙間から喘ぎが漏れそうで冷や汗をかく思いでいる。一喝すればアルフィンはあっさり退くだろうが、みちみちと腰全体を締め付ける快感は捨てがたく、もうしばしこのままでいたい。
「こうして眺めると広―い。ジョウの背中って」
頭の後ろで、うふふ、と上機嫌な声がする。そしてこのあと、まったく予期せぬ刺激が擦り込まれた。アルフィンの両の平手が、さあーっと彼の背中一帯を撫で回したのである。
「……あっ、……っ」
達したかと焦り、全身がびくびくと戦慄く。幸い、それは錯覚だったが気恥ずかしさから全身に熱が帯びる。くそう、悔しい。不意打ちとはいえ、情けない声を発してしまった。
「ごめーん、くすぐったかった?」
「……、……」
「あら、寒い? 鳥肌立ってる。冷風カーテン弱めようかしら」
「……、……」
「ジョウ?」
なぜこんなもどかしいことに。仕事仲間でしかない自分たちだから、傍目にどれほど睦まじく映ろうとも、越えられない一線がある。恋人ならとっくに向き合って、跨がらせたまま交わり、アルフィンの秘密を存分に味わっている。下から力一杯突き上げ、擦りつけ、上から涙目で見下ろされて、若さと激しさをぶつけ合いながら共に高みを貪っただろう。
馬鹿か……俺は。気持ちよすぎる夢、見やがって。
所詮現実は柔らかな彼女の中ではなく、無機質なジェルマットに突き立てているだけ。空しい。一方的に盛っている姿が無様すぎて、痛々しくて、立ち直れそうにない。
一人にして欲しかった……。
「──アルフィン」
「大丈夫? どうかした?」
「……苦しい」
「ど、どうして急に? リラックスにならなかった?」
「……て」
「え? なに?」
「重すぎ、て」
「!! なによっ、──失礼しちゃうっ」
びったん! ぐあ、とジョウは両目を剥いてエビぞった。鞭打ちに似たいい音。アルフィンが両の平手を、彼の背中に容赦なく叩きつけた。同時に怒りをかっか発しながら、ぷいっと金髪を振り払ってデッキチェアを降りる。
「〜〜〜ってえ……」
「心配して損した! ジョウなんか知らない!」
額を擦りつけるようにして耐えた。ギュッと砂を踏む音が瞬く間に遠のいていくのを耳朶で追いかける。ベタだが、これで一人になれた。そしてアルフィンの貞操も守れた。人目あるオープンな場所で破廉恥な展開にはならないが、妙な気分を燻らせたままでは自分を信用できない。
右手を後頭部にまわし、ぐしゃっと癖毛を掻いた。こうするほかがなかったとはいえ、束の間の、甘美な時間が名残惜しそうに身体に留まっている。いつか堂々と彼女を抱ける日が来るのか? 考えただけで恋しくて苦しい。色んな物事が空回りばかりしているようで、しかし対策が見えてこない。
「上手くいかねえなあ」
情けないが、大きく吐息をつくと頭を抱えた。
するとそこに、
「兄貴」
リッキーがふらりと現れた。あああああ。ジョウは頭を抱えたまま、気分がめり込む。
一人になりきれない。
「なんかあった? アルフィンと」
「……別に」
「あ、やっぱあったんだ。今すれ違ったけど、えらい剣幕でさ。俺らを無視」
別にと言っているのに。
否定がまったく意味なく、憎らしいことにしっかと図星だ。忌々しくてジョウはそれ以上とりあわない。
「あの水着じゃん、ここ最近じゃ最強にエロい水着。ナンパ男が寄ってくんだけど、
悪態突いて蹴散らしてた。まあ、安心だよね、あれだと」
ナンパ……。釣られないにせよ、厄介ごとに巻き込まれない保証はない。むしろ突っかかって、もらうケースはありうる。むくりと、腕立ての姿勢でジョウは起きた。アルフィンがいなければ、欲情などあれよあれよと冷めきる。デッキチェアから降りて後を追おうとすると、すかさずリッキーが引き留める。
「まずいよ、兄貴」
「あ? 何がだ」
「腫れてんぜ、そこ。笑われちまうよ」
腫・れ・て・い・る・そ・こ・が。
うっ、と固まるジョウだった。そこ? そことはまさか? 泳ぐアンバーの瞳。リッキーに醜態をさらしたとばかり、さあっと血の気が引いた。すかさず顎を引き、脚の間に目線を落とす。
「あーあ、痛々しい。このサイズだと、アルフィンかい?」
いつの間にか背後に回っていたリッキー。同情の声をもらすのだった。
「天使の羽みたいになってやんの。手型」
「……て、てが、た?」
「うん、真っ赤に腫れててさあ、ヤバイね。こんなんなるまで、一体何しでかしたんだい?」
つまり、つまりだ、背中のことを言っている。誤解を招く物言いに、ぐらぐらとむかっ腹が立ってきた。即、下半身を見下ろした俺は、自業自得とはいえ──馬鹿かっっっ?!
「野郎! 紛らわしい言い方すんな!!」
「ぎゃいん!」
ジョウの蹴りは見事、リッキーへの尻バットとなった。
<END>