【15】
準備がよかった。
ジルに細心の注意を払ってきたアルフィンは、エアカーのトランクにクラッシュパックを載せている。中身は<ミネルバ>でも使う救急セット一式だ。
タロス、リッキー、ミミーが、ジョウとジルを連れ帰り、すぐさま応急処置を施される。ジョウが負った痛手はかなり大きい。血染めのシャツから推測すると、800ミリリットルは流血していた。
傷の消毒、無針注射器で皮膚再生剤と増血剤、さらに抗生物質も投与。ライナスが持参したデッキチェアが簡易ベッドとなった。
ジョウとジルが発見されると、ダンは早々に身を引いた。父親がのこのこと出てくることをジョウは嫌う。ダンとて忙しい身。息子の意識が戻るまで待ってなどいられない。
陽が、最も高い位置に達した時。
ジョウから呻き声が漏れた。
「みんな! ジョウが!」
ずっとそばについていたアルフィンが、ジョウの覚醒を告げた。アルフィンはジルをしっかり胸に抱き、ぴくりと動きはじめた瞼を凝視する。
全員が顔を揃えた。ライナスもすっかり復活している。
少し苦しげな息の下から、ジョウはジルの名を呼んだ。その姿に、アルフィンは両手で口元を覆い、碧眼にいっぱいの涙を溜めた。
ゆっくりと瞼が開いた。
まだ少し力の弱い、アンバーな瞳が広がった。
「……ここは」
ジョウの第一声を聞き、我慢の頂点に達したアルフィンが大声で泣き出した。ぼんやりとしながらも、ジョウはそれで助かったことを理解する。
「……死んじまったみたいな泣き方、するな」
「だって……だって……」
しゃくり上げながら、アルフィンは顔を両手で覆ってさらに勢いを増して泣く。その姿につられたのか、ジルまで泣き出した。
「お、こいつも感動してやがる」
タロスが嬉しげに口を挟んだ。
「……違うな。アルフィンの声に驚いたか、腹が減ったのを思い出したんだろ」
「分かるんですかい?」
「分かるさ」
ミミーが腕時計を見る。
「あら、ほんとだわ。もうお昼を大分過ぎてる」
「こいつにはまだ、感動なんて高等な感情はない」
「……の、わりには嬉しそうですぜ、ジョウ」
ジョウはのったりと腕を伸ばすと、アルフィンの前髪を掻き上げてやった。唯一ジョウができた、アルフィンへの感情表現だ。
その懐かしい感触に、アルフィンは少しずつ泣きやんだ。そして素直に今の気持ちを伝える。
「……ありがとう。本当にありがとう、ジョウ」
ジョウは口元に小さな笑いを浮かべた。
「礼はいらん」
「……けど」
「当然のことさ」
父親として。ジョウはその満足感をひしひしと噛みしめていた。守るべきものがあることで、新たに奮い立たされる自信。ジルがアルフィンに宿った時、沸き上がったあの感情。それは今もこうしてジョウの中に脈々と流れていた。
実感できた、ようやく。
自分は紛れもなくジルの父親であることを。
ジョウ達が家に辿り着いたのは、もう夕方に近かった。帰りはライナスが自ら、タロス達のエアカーに乗り込んだ。そのライナスも至福の笑みを讃えて、ジョウ達を絶賛した。
自分は家族を守りきれなかった。だがその悔しさをバネにし、次に守るべきものをつくる勇気を教わった。そう、ライナスは最後に告げた。
応急処置が効いたせいか、家に着く頃にはジョウもかなり回復していた。もともと鍛え抜かれた肉体である。最低限の休養が加味されれば、調子は元に戻る。
「庭の穴、もう埋めたんだな」
「そうよ。だってジルが落ちたりしたらことじゃない」
「うーん……」
ジョウは腕の中で眠るジルを見て、続けた。
「しかし、この程度でピーピー泣いてたら世話ないぜ」
「そうねえ……」
アルフィンも人差し指を顎に当て、少し考えた。
「男の子だもの。もっとアバウトにするわ」
アルフィンの口調がくだけていた。と同時に過敏さがすっかり消えた。その変わり身の早さにジョウは内心驚く。てっきりまたガミガミと怒られるのかと覚悟していた。
何がそう変えたのかは、ジョウには見当がつかない。だがアルフィンの、クラッシャー時代のがさつさが少し垣間見えて可笑しくなった。
「やだ、なんの含み笑い?」
「気にするな。アバウトにいくんだろ」
「そうだけど」
アルフィンは腑に落ちなかった。少し頬を膨らました。
その仕草もジョウにとっては眩しかった。
3人は連れ添って家に入った。
心底ほっとした。
ジョウはやっとこの家でのくつろぎを見い出せた。安心できる、落ち着ける。室内は別段変わった所がないのに、住み慣れた家特有の空気を感じることができた。
ジョウは寝室へ向かうと、ジルをベビーベッドに寝かしつける。身体が間取りを覚え始めた。
「……可愛いわよね」
アルフィンがジョウの隣で、うっとりとした表情で呟く。
「俺に似たからな」
「あら、男の子は母親に似る方が幸せになれるのよ」
「そんなの迷信だ」
「本当よ!」
ふと、二人の視線が絡み合った。
ジョウの鼓動がどくんと力強く打つ。
アルフィンもそうだった。
「……ど、どっちでもいいか」
「……そ、そうよ!どっちもいいのよ」
もう夫婦だというのに。
二人は昔のようにどきまぎしながら寝室を出た。
「ねえ、ドライブスルーで食べちゃったから、あんまりお腹空かないわよね?」
「そうだな。ビールでも飲りたい気分だ」
「あーあ。ジョウには全然、あたしの手料理食べてもらえないわね。残念……」
小首を傾げたせいで、金髪がさらりと揺れた。
ジョウがいつも胸をときめかせていた、アルフィンの愛らしい仕草だった。
「まだ時間はあるさ。シャワーでも浴びて、ゆっくりしようぜ」
「そうね。簡単なもの作るから、お先にどうぞ」
明らかにアルフィンははしゃいでいる様子だった。懐かしい。いや、今でもその姿をいいと思える。お互いの呼吸が、リズムが、ようやく元に戻った感じだった。