【16】
夜の帳が下り、ジョウとアルフィンはリビングでくつろいだ。
ソファで、ジョウの隣に座るアルフィンはおしゃべりだった。
ずっと話せなかったこと、溜まっていたこと。後から後から、とめどない。
ジョウはアルフィンの話を心地よく聞いていた。だが内容までもが全部入っている訳ではない。アルフィンの声、独特の言い回し、そして話すときの表情。眺めているだけで楽しい。
隣室にジルが寝ているせいで、声を潜めてながらではあるが、充分に互いの気持ちは通じ合っていた。
何故あんなにもめたのだろう。
ジョウはアルフィンを見つめながら、目まぐるしかったこの数日を思い返す。随分酷いことを言った。ジョウも本気で傷ついた。昨日までは壊れる寸前まで来ていた。
しかし今ここで、アルフィンのくるくる変わる表情を眺めていられる。きっとこの先も、こういうことがあるんだろう。ジョウはそんな事をふと考えた。
だがその後にはきっと、今のように満たされた時間が必ず訪れる。アルフィンとなら、それを信じられる気がした。
「……んもう、ジョウったら」
「え?」
「あたしの話し、全然聞いてないでしょ」
「聞いてるさ」
「じゃあ応えてみて。あたしがさっき話したこと」
「確か……ライナスと初めて会った時の話し、かな」
「全然聞いてないじゃない。ひどいわ」
つん、とアルフィンがそっぽを向く。
ジョウの顔がふっと優しく和らいだ。
「ひどいのはそっちだぜ」
「なんでよ」
「忘れてるだろ。大事なこと」
「なによ、大事なことって」
アルフィンは拗ねたまま振り向きもしない。だからジョウは動けた。長い間あの碧眼と離れていたのだ。まだ真正面から覗き込むには、刺激が強すぎる。
ジョウは後ろから逞しい両腕を回す。アルフィンを抱きすくめた。
細い肩、シャワー上がりの香り、柔らかな感触。ジョウはその腕により力を込めた。
あ、とアルフィンの小さな声が聞こえた。震えている。ジョウの腕の中で、アルフィンが身体を固くしているのが分かった。
「……びっくりするじゃない」
アルフィンがそろりと、ジョウに向き直した。少し怒ったような、でも嬉しげな、複雑な顔で上目遣いをする。
たまらなかった。
アルフィンのその甘い表情が、ジョウの胸を苦しいくらいに締めつける。
「大事なことって、このこと?」
「ずるいなアルフィン。そうやって俺をじらして」
「じらしてなんかないわ。ジョウはアルコールが入ってるから、ふわっとした気分なんだろうけど。あたしは、素面、だし……」
「ちょっと今夜は飲ませられないな」
「少しくらい駄目?」
「豹変されたら手に負えない」
「……ひど」
言い終わらないうちに、その唇をジョウは塞いだ。すぐさま深く、つぶさに、じっくりと堪能しはじめる。初めてこうして触れた時が蘇り、頭の芯から熱が溶けていったのを思い出す。
手のひらで確かめる、アルフィンの頬、首筋、胸のふくらみ、腰のくびれ。曲線しかない、懐かしくて愛おしい、命を賭してでも守りたい感触。
よく2年間もこの手触りがない中で生きられた。
つくづく思い知らされた。
「……静かにね。ジルが起きちゃうわ」
ジョウに抱き上げられベッドへ運ばれたアルフィンが、恥ずかしそうに呟いた。
「自信ないなあ……」
「それに、ケガにも良くないでしょ」
アルフィンを組み敷いたジョウは、言葉では応えなかった。愛し合うこと以外に、答えがないからだ。それにジョウはもう止められなかった。
止めるつもりもなかった。
アルフィンは、ジョウの匂いと温もりを胸いっぱい吸い込みながら、心がほぐれていくのが分かった。
そして日々の生活、目先のことにとらわれて、大切なものを置き去りにしたことを痛感する。
アルフィンにとってはただ一人の男性を、ジョウに決めただけだった。シンプルな決断。しかしアラミスに降りてから、ジョウがただの男性ではないことを痛感した。
楽観的ではいられなかった。妻として、母としての責任の重圧。それを果たすだけで精一杯だった。
必死だった。
しかし今ジョウに包まれていると、あがいた日々が慰められていく。ジルは生まれながらにして、クラッシャー稼業の後継者という声も大きい。だが基本は、愛する人の子であるだけだ。その発端をアルフィンは忘れていた。
ジルは大切だ。
しかし、ジルがいるのはジョウがあってこそ初めて叶う。本当はジョウだけを責められない。自分も悪いのだ。アルフィンは申し訳なさと、ジョウを失わずに済んだ安堵から、涙が溢れてきた。
それをジョウに気づかれないよう、指先でそっと拭った。
そして残された休暇。
たった一日の休暇が訪れた。
ジョウとアルフィンは休む間を惜しむようにして、3人で早々から出かけた。
ジルの好きなアニマル・パーク、アルフィンの好きなショッピング。ジョウは二人が喜ぶ顔が見られれば何処ででも良かった。初めての家族だけの時間。
短くとも、幸せに満ちていた。
そして夜が更けると、ジョウとアルフィンは互いを求め合った。何度も抱き合い、何度も愛し合う。ジルもそれを分かっているのか。実に大人しく立場を弁えていた。
「……も、もう駄目」
アルフィンがジョウの身体を両手で押し戻した。ちらりとジョウの視線が、ベッドサイドの置き時計をとらえる。
「早いな。明け方まであと4時間しかない」
「うそ……徹夜するつもり?」
「仕方ないさ。いくら抱いても足りないんだぜ」
アルフィンの制止を聞かず、ジョウは身体を擦り寄せた。
「それに明日から、またしばらく会えない」
寂しげなジョウの言葉。
アルフィンの胸は、きゅっと苦しくなった。
「けど……」
「けどは、もういい」
アルフィンの形のいい耳を、ジョウは唇で弄んだ。
「だけどお……」
「だけども、もういい」
「ジョウったらあ……、あ、ん…」
結局、アルフィンはジョウの強引さに負けた。本当に朝まで寝かせてくれなかった。白い肌のいたるところに、ジョウの愛した形跡が散らされた。