【3】
ジョウはアルフィンそしてジルと、エアカーで宇宙港を後にした。二十分も走行すると、田園風景が美しい町に出た。ジョウの生家、ダンが住む家とも、エアカーで十分ほどの距離だ。農耕惑星のアラミスである。一軒家の外観は、近代的ながらもアースカラーに彩られ、田園風景とマッチしていた。
「ジルがいると片づかないのよ」
許してね。そういう意味合いを含んだアルフィンは、ジョウを家へ案内した。初めて踏み入れる新居。何十年か先、ジョウがクラッシャーを引退したら我が家となる場所だ。
アルフィンの趣味だろう。調度品はすべてウッディで揃えられ、クラシカルな彫刻が施されている。玄関を抜けると、広いリビングとキッチンが一体化した空間。おもちゃが散らかっていた。
窓が多い。天窓まである。4つのドアがあり、寝室とクローゼット、あとの2つは空き部屋だ。キッチンの奥のドアは、洗面所とバスルームに続いている。
「これだけ揃えるの大変だったろ」
ジョウの生家はどちらかというと機能的で無機質だった。ハウスキーパーと入れ替わり、ハミングバードが仕切っている。そのイメージとかけ離れていた。根を下ろした人間が快適に暮らす家。家庭という温かみに満ちていた。
「お義父様が。こまごまとよくしてくださったわ」
「親父が?」
ジョウの目が丸くなる。幼いジョウを残し、宇宙を渡り歩いてきた父である。まめで子煩悩ではないと思っていた。しかし孫は違うのか。その姿がジョウには全く想像できない。
アルフィンは、ジルをリビングに放す。
しっかりとした足取りで、部屋中を走り回りだした。
「お腹空いた?」
「いや。緊張しているのかな、全然だ」
ジョウは肩をそびやかす。
リビングにつっ立ったままで、自分の居場所すらまだ探し出せない。
「自分の家なのよ。もっとリラックスして頂戴」
「そうだな」
アルフィンはクローゼットを指さし、ジョウに着替えを促した。クラッシュジャケットのままだと、仕事の気分も抜けない。そう読んだからだ。
「あたし裏で洗濯物を取り込んでくるわ。悪いけど、ジルを見てて」
「わかった」
アルフィンは忙しそうに玄関を出ていった。
さばさばしたものだな。ジョウは頭で理解していても、気持ちを少し持て余していた。そういえば再会の抱擁も、口づけすらもしていない。ずっと離れていたのだ。新婚とはいえないが、スキンシップがあってもいい。
アルフィンは家事に育児にと、毎日慌ただしいのだろう。自分の息抜きに、ちょっとした甘さを求めるのは我が儘なのかもしれない。こっちから迫るのも何となく柄じゃない。ジョウはそうやって、言い聞かせることにする。
ブルーのジャケットを脱ぐと、リビングのソファに掛けた。そしてクローゼットに入り、アルフィンが見立てたらしき、カジュアルな柄のシャツとジーンズに着替える。
確かに気がふっと緩んだ。
少しだけ家の空気に馴染めた気がした。
クローゼットを出ると、ジルがソファに掛けたクラッシュジャケットに興味を示していた。小さな手で、掴んだり引っ張ったり、遊んでいる。
「……なんだジル、将来はクラッシャーになるのかい」
父性という感情はこういうものなのか。
ふとジョウに笑みがこぼれた。
だがその顔が一瞬にして蒼くなった。
ジルの手に、引きちぎられたアートフラッシュが握られている。
「げっ!」
ジョウの動きは早かった。
ジルの手からアートフラッシュをもぎ取る。拳でガラス窓を割り、外に投じた。ジルの小さな身体を抱きすくめ床に突っ伏す。
ずん、と大地が揺れた。
爆破の勢いが、ガラス窓を大破した。ジョウの背中に破片が容赦なく降る。
胸の中で、ジルの激しい鳴き声が炸裂した。
「ジル!」
血相を変えたアルフィンが、玄関から飛び込む。表の庭が、窪んでぶすぶすと炎を上げていた。その焼け跡から、アートフラッシュであることは分かっていた。
「……大丈夫だ」
ゆっくりと立ち上がり、ジルを抱き上げた。火が点いたように、ジルはぎゃんぎゃん泣いている。アルフィンはジョウから引きはがし、ぎゅっと抱きしめた。
「もうっ! 帰ってきた早々何事よ」
そのトゲのある口調に、ジョウはかちんと来た。ジルを危機から救ったのだ。感謝はされても、怒鳴られる筋合いはない。
「こいつがアートフラッシュを引きちぎったんだ! 家を木っ端微塵にする所だったぜ」
「ジョウが脱ぎっぱなしにしたからでしょっ!」
「俺のせいかよ!」
「そうよ!」
アルフィンの声に気圧された。
「この年は何にでも手を出すの! だから見ててと言ったじゃない」
子を守る母親としての、防衛本能が剥き出しになっていた。初めて見るアルフィンの顔。突き放されたような感覚が、ジョウに絡みつく。動けなくなった。
アルフィンはくるりと背を向けた。
ジルをあやす声は、一変して優しい。
「よしよし……。ごめんね、びっくりさせちゃって」
ジョウはすこぶる気分が悪くなった。
だがここで腐るのも大人げないと自制する。ひとつ、大きな息を吐く。無言のままシャツの破片を払うと、手のひらに小さな傷をつくってしまった。
冷静になれ。そして、ゆっくりとした口調でアルフィンの背中に話しかけた。
「随分と過保護なんだな」
少なくともジョウにはそう見えた。
嫌みではない。本心だ。
「言い聞かせて分別つく年じゃないわ」
「ちゃんと叱れよ。そうすりゃジルは、二度とアートフラッシュをおもちゃにしないさ」
「知った風なこと言わないで!」
アルフィンが振り向いた。柳眉が上がっている。
ジョウはたじろいだ。それほどにアルフィンの剣幕は深刻だった。
重い空気が流れる。
「どうしたんだい! アルフィン」
玄関から聞き慣れない男の声がした。ジョウが視線を向けると、グリーンのつなぎを着た青年が立っている。中肉中背。背はジョウと変わらない。生えかけの無精髭が少し老けさせているが、たぶん年齢はジョウより少し上くらい。日焼けした肌をしていた。
「……ライナス。あなたこそどうして」
ジルを抱えたままで、アルフィンは振り返る。
声だけで、安堵の様子がジョウにも伝わった。
「大学に行く途中で、家の前が燃えてたから驚いたんだよ」
「……ジルが、アートフラッシュをおもちゃにしたらしいの」
「えっ?!」
ライナスが家の様子に視線を向ける。
そこでやっとジョウの存在に気づいた。
「ク、クラッシャージョウ……」
私服であっても、その顔を見間違える者はいない。
「……何者だ、あんた」
ジョウの口調は固い。
それも無理はない。夫が留守中の、妻と子だけの家に気兼ねなく立ち寄る男なのだから。
「ああ、失礼……」
ライナスは首からぶら下げたタオルを、するりと外す。
「初めまして、ライナスと言います。この先のピグミー大学で助教授をしています」
実直そうだ。
しかしジョウが訊きたかったのは、そういうことではない。
「随分と親しそうだな」
「あ、ええ。ジルも含めてよくしてもらっています」
ジョウの耳には、ジルも含めて、を強調されたように聞こえた。
「ジョウ、変な勘ぐり方はよして」
アルフィンが口を挟む。表情から険しさは消えていた。だがジョウには、アルフィンの気持ちが読みとれない。複雑な面もちに見えた。
「いや、いいんだよアルフィン。ご主人の言うことはもっともだ」
日に焼けた顔から、真っ白な歯がのぞく。
ジョウとてピグミー大学を知らない訳ではない。バイオ科学に対し、特に熱心な大学だ。アラミスはクラッシャーの母星としてあまりにも有名だが、農耕惑星としての発展も進んでいる。地道ながらも、バイオ科学の研究は銀河系でも先進国に入る。
「あなたの存在を知らない、アラミスの人間はいやしませんよ。僕自身も、とても尊敬しています。アル……いえ、奥さんに対してもその点はきちんと弁えています」
ライナスのまっすぐな物言いに、ジョウは何も言えなくなった。
それもまた口惜しい。
嫌な奴であることを心の中で願っていた。勢いに任せて殴り倒せたのに。ジョウはやり場のない気持ちを抱えたままだ。
いつの間にか、アルフィンの胸の中にいたジルが泣きやんでいる。指をくわえ、きょとんとした表情でライナスを見上げた。
「とりあえず無事でよかった」
ライナスはジルの頭を、その大きな手で撫でた。
「……あいな」
ジルの舌っ足らずな声。
ジョウにも分かった。ライナス、と呼んだのだ。ショックがジョウを襲う。
小さな身体に拒まれた感触が、ジョウの胸を狂おしいくらい締めつけた。苛立ちなど、吹き飛んでしまった。
「よかったな、ジル。パパがいてくれれば安心だ」
ジルは、ライナスに惜しみなく笑顔を向ける。アルフィンの腕からこぼれ落ちそうなほど、はしゃぎだした。
ジョウは、その光景から目が離せなかった。
ジルを抱くアルフィン、その傍らにはライナスの笑顔。よっぽどこの3人の方が家族に見えた。ゆったりと日々を営む者達の、穏やかさに満たされた空気が漂っている。
今のジョウを取り巻くものと明らかに違う。スリリングで、生死の狭間をかいくぐるクラッシャーの生活に馴染んだジョウには、別世界の光景だった。
俺は何故ここにいる?
ジョウは無言のまま、自分に問いかけるしかなかった。