【4】
クラッシャー評議会本部があるオクタゴン。そこから少し離れた場所に、小さなビーチがあった。ホテルも併設されている。夕日はとっくに落ち、夜の帳に覆い尽くされていた。星の瞬きを眺めるには、小さいが穴場のリゾートホテルだった。
リッキーとミミーはショッピングをし、映画を見て、軽い食事も済ませてきた。一日の締めくくりとして、ホテルの最上階ラウンジで一杯やろうという話になった。ミミーはリッキーに腕を絡めている。二人の足取りは軽いまま、ロマンティックな窓際へと歩を進めた。
が、その足は凍りついた。
窓際のテーブル席に、タロスとジョウがいるのだ。
ソファにどっかりと身体を預けたタロスに対し、ジョウは屈むようにしてグラスを傾けている。
「ジョウ! 何してるのこんな所で」
ミミーはストレートに訊いたが、リッキーには嫌な予感がした。ここにいること事態、何かあったのだ。それもアルフィンとの間に。
「……よお、デートかい? いいねえ若い連中は」
やけに明るい。
というか、この場の空気と、表情と、口調がまるで噛み合っていない。
「やだあ、からみ酒?」
「……やけ酒、とも言うな」
タロスが付け加えた。うへえ、とリッキーが声を上げる。テーブルにはすでに、空になったボトルが1本転がっている。今日一日まともに食事をしていないジョウが、その胃にたっぷりとブランデーを注ぎ込んで1時間。
ようやく酔いが回りだした頃だった。
「つき合えよ、ミミー」
ぐい、とジョウはミミーの腕を引き、隣に座らせた。リッキーは仕方なく、タロスの隣に腰を落ち着かせた。そしてタロスに耳打ちをする。何があったのかと。
「……ジルに手を焼いて、家も焼けかけて、アルフィンが怒って、男が現れたそうだ」
「なんでえそれ。訳わっかんねえなあ」
「でも、男ってなあに?」
ミミーはずばりと訊く。
タロスやリッキーは、泥酔したジョウにそんな恐ろしいことはできない。
「ピグミー大学の助教授だとよ。友達みたいな口振りだったが……どうだか」
ぐびりとグラスを空けた。
「疑ってるの? らしくないわ」
ミミーはジョウに詰め寄る。
「他の男だったらいざしらず、相手はジョウよ。アルフィンの気が移る訳ないじゃない」
「あ、その言い方。ちょっとばかし俺ら傷ついたぜ」
リッキーが突っ込む。言葉のあやよ、とミミーはさらりと受け流した。ジョウへのお節介虫が騒いでいるらしい。
「勘ぐって、アルフィンに問いつめたんじゃないでしょうね」
「そこまで気も回らなかったさ」
グラスにブランデーを注ごうとするジョウの手を、ミミーが止めた。
「もう飲んじゃ駄目。……小さなこじれは、早めに解決することを勧めるわ」
「これが飲まずにいられるかってんだ!」
ミミーの手をうるさそうに払い、ジョウはグラスから溢れるくらいブランデーを注ぐ。
「そんなことしてたら、あっという間に休暇が過ぎちゃうわよ」
「明日から仕事でも入れるかな……」
ジョウは苦笑する。
「まったくもう。待ち続けたアルフィンの気持ち、考えた?」
「いきなり帰ってきて迷惑してるかもしれないぜ」
「なに拗ねてるのよ! パパにもなって……」
ジョウの動きが止まった。目を据えて、ぎろりとミミーを睨んだ。
やばい。
タロスとリッキーの体験から言えば、爆発寸前のジョウの表情だ。2人の顔がひきつる。
しかし。
爆発は不発だった。というより、萎むように鎮火した。
ジョウが小さく見えた。3人にとっては初めて見る姿。これは単なる痴話喧嘩のレベルではない。
そしてジョウの口元が、くっと歪んだ。
「……ジルが本当に俺の子かってのも、怪しいもんだぜ」
ついにタロスが身を乗り出した。
「待ちなせえジョウ。……その冗談は、ちょいと笑えないですぜ」
リッキーとミミーも、大いに頷いた。
「考えてもみなせえ。あたしらが相も変わらずクラッシャーをやってる間、アルフィンは慣れない土地で、たった一人で、ジルをあそこまで立派に育ててきた。それもこれも、ジョウの子供だからじゃないですかい」
ジョウはテーブルに目線を落としたまま、動かない。
だがぽつりと呟いた。
「……とは言ってもな」
「それに2年のブランクといやあ、多少のズレはどんな関係にだって起こる。大事なのは、それを互いに埋める努力ですぜ。そこから目を背けて何になるんですかい」
がん、とグラスがテーブルを叩いた。
ジョウの右手がそうした。
「俺だってやってやりたいことは山ほどあるさ。けどよ、タロス。……親父として俺が出来ることって何だ」
「…………」
「アルフィンが旦那に求めるものって何だ」
「ジョウ……」
「応えてみろよ。教えてくれ。俺にはひとっつも分かりゃしない」
親指をぎりっと噛んだ。
しかし、すぐにまた小さな嗤いを含む。
「……なるほどね、そうか。俺が、クラッシャーを辞めりゃいいのか」
ジョウの発言に、リッキーとミミーが顔を見合わせる。
すかさずタロスが宥めに入った。
「それはちっと飛躍しすぎでさあ」
「飛躍なもんか!」
ジョウはぴしゃりと言い放つ。
「家族ってのは、ただ血が繋がってりゃいいのか? そうじゃないだろ。一緒に生活する毎日に、深い意味があるのさ。……俺はそれを怠ってきた」
「自分を、責めてるんですかい」
「さあてな。……それすらも俺には、もう分からん」
ジョウはブランデーをまた、ぐっと煽る。
「そもそも俺は、いなくてもいいんだろうさ。あのヤサ男がいればよ」
「悲観的すぎますぜ……」
「俺の居場所は結局、<ミネルバ>だけってことさ……」
アルコールのまどろみと、寂しさが、ジョウをぐるりと囲んだ。アンバーの瞳に、暗い影が射す。
ジョウは黙ってしまった。そして頭をかくんと垂らした。
潰れてしまった。
たった半日の出来事が、ジョウの気力と体力を根こそぎ奪った感じだ。正確にはアルコールが許容範囲を超えたのだが。
しかしそんな風に、ことを呑気に考えられる余裕は、居合わせた3人になかった。