ハートのA
最近、仕事が忙しくて休暇がなかなか取れない。
この半年、休暇といえるものは三日と取っていない。売れっ子AAAのクラッシャーともなればそれが日常茶飯事なのだろうが、いかんせんクラッシャーといえど生身の人間。休暇は必要だ。休暇を求めてジョウに噛み付くも「仕事だ」の一点張り。それはジョウが悪いわけではないのになんとなく不機嫌な自分をぶつけてしまう。気が付けば些細なことで口論となり、今日は朝から口を利いていない。
些細なこととはクラッシャー・ルーからのメールだった。「相手にしていない」というジョウの言葉を信じられずに彼を攻めてしまった。自分でも感情を持て余していたというのが正解だろうか。
「あたしたち、ダメなのかしら?」
一人自室で呟いて、アルフィンはベッドの上にゴロリと転がった。
喧嘩してしまうとついそういう愚痴が口をついて出てしまう。今は、当直にジョウが入っている。後、三十分もすれば自分と交代する予定だ。顔をあわせたくないような嫌な気分。いつもならジョウの傍に居るだけで嬉しいはずなのに。
――― 全然、寝られないわ
腕のレシーバーも兼ねた時計が指した時間は、銀河標準時で午前二時半を周った所。
喧嘩したままでいいの?と心の中で誰かが呟く。
また、一方で少しぐらい女心が分かってくれてもいいじゃないと呟く声も聞こえる。
全てが自分の心の声なのは迷いがあるから。
――― 誰かに取られてもいいの?
最後に聞こえたその声に、アルフィンはガバリと身体を起こした。着込んだままの赤いクラッシュジャケットに部屋の明かりが反射して煌めく。
「イヤよ。ジョウが誰か他の女に取られるなんてごめんだわ」
口に出した言葉。唇を噛み締めてふと見れば、正面にある鏡に映る自分の表情。
嫉妬に満ちた女の顔がそこにあった。
――― あたしってこんな顔をジョウに見せていたの?
自分の顔なのに自分じゃないような顔。驚きを隠せないのはその表情が自分でもイヤなほど嫌いな表情だったから。
――― こんな自分をどうしてジョウが好きになってくれるのよ
アルフィンは一度顔を振って笑顔を浮かべなおした。黄金色の髪が身体の動きにつられて揺れる。
ぎこちないその笑顔に、少しだけ眼を閉じて瞼の奥にジョウの笑顔を浮かべる。
優しくはにかんだジョウの笑顔に胸の中に喜びが満ちた。ゆっくりと瞼を開ければ、花が咲いたような笑顔の自分が鏡の中に居た。
「あたしはジョウが大好き」
呪文のようにそう呟けば、少し心が軽くなるように感じる。
「そう、ジョウが好きだから。ジョウにもあたしを好きになって欲しい」
少し早いが、アルフィンはベッドから降りると颯爽と立ち上がった。今ブリッジに行けば、ジョウが居る。
ルーにもその他の女にも誰にもジョウは渡さない。その勝負だけは降りるわけにはいかない。
アルフィンは両頬を軽くパチンと両手で叩いて自室を後にした。
程なく着いたブリッジの入口、軽く深呼吸してアルフィンはドアを開けた。
「ジョーウ?」
ブリッジの背後のドアが開き、自分を呼ぶ声にジョウは振り返る。
そこには、ここ最近機嫌の悪かったアルフィンが優しい笑顔で立っていた。美しい花が咲き誇るように彼女が長い黄金色の髪を耳に掛ける仕草が悩ましく見える。”ミネルバ”のブリッジには二人だけ、仲裁役のタロスも被害者のリッキーやドンゴは今、ここには居ない。それはいいことなのか、悪いことなのか、今のジョウには分からなかった。
「・・・まだもう少し時間あるぞ」
喧嘩していたこともありぶっきら棒にそう返答するとジョウは視線を前方に戻した。
「分かっているわ。少しあたしが早めに来ただけだから」
ジョウの傍らまで歩いてくると、ゆっくりと立ち止まった。そして副操縦席にいるジョウの傍に屈みこんでアルフィンは彼の顔を覗き込む。
「ごめんなさい、ジョウ。あたしが悪かったの、仕事が忙しいのはジョウのせいじゃないのにね。許してくれる?」
思いがけなく素直に謝られてジョウは暫し黙ったままでアルフィンを見た。
紺碧の瞳が少し不安そうに揺れている。そんな瞳をさせたいわけじゃない、彼女には笑っていて欲しい。
やはり、アルフィンに敵わないのは愛しいからだろうか。
「許すも何も・・・最初から怒ってないさ」
それだけ呟くとジョウは自分の言葉に照れて、副操縦席から立ち上がった。つられるようにアルフィンも一緒に立ち上がる。二人とも穏やかに互いを見つめあう。
「少し早いが引き継いでもいいか?」
「いいわよ。何か伝言ある?」
「いや、特別なことは何もない」
「そう。なら、お疲れ様、ジョウ。ゆっくり休んでね」
「ああ」
そう言って、ジョウはアルフィンをブリッジに残し自室に戻るために入口へ向かった。これから三、四時間は眠れるだろうか。
暫しジョウの姿を見ていたアルフィンは、彼の背後から指で銃の形を作り、じっと狙いを定めた。
狙う先はただ一つ。
愛しいジョウのハートだけ。
――― バァン!
心の中で叫べば、思い描いた銃弾が一直線に彼の背後から左胸を狙う。
もう少しで届こうかという矢先、不意にジョウが後ろへ振り返る。アルフィンのその仕草に思わず表情が固まっていた。
「な、なんだ?」
「んもう、覚悟しときなさいよっ!」
煙の出るはずのない指型銃の銃口に口付けて、アルフィンは愛らしい笑顔を浮かべてウィンクをした。
「何の覚悟だ?」
「ひ・み・つ」
「はあっ」
そのまま駆け寄って抱きついてくるアルフィンに訳が分からないジョウは、抱きしめながらも苦笑してしまう。彼女の笑顔は嬉しいが機嫌が直った原因は分からずじまい。それでも腕の中で微笑むアルフィンの心からの笑顔に、ジョウは優しく力を込めて抱きしめた。
――― ジョウのハートのAは、なかなか仕留められないけれど絶対この勝負降りないから。覚悟してね、ジョウ!
温かく優しい温もりにアルフィンはそっと瞳を閉じて彼の腕に静かに身を委ねた。
-fin-