[2]
アルフィンは少年にひかれるままに、市街へとやってきていた。
裏道を抜け、大通りを横切り、どんどん街中へ──つまり、アルフィンの帰るべき宇宙港とはまるで逆方向へと入り込んでいく。
「ねえ、ちょっと待ってよ」
アルフィンの呼び止めにも一向に応じる気配がない。少年はただひたすらに、撒いた追っ手から更に逃れるように、人の間を早足ですり抜けて行く。
「ねえってば」
アルフィンの声は同じ言葉を何度もくり返すうちに、次第に不機嫌になってくる。
メインストリートに達した時、とうとうアルフィンの堪忍袋の緒が切れた。
「んもお、どういう事か全部説明してちょうだい!」
アルフィンは強引に腕を振り払うと、その場に仁王立ちになった。少年は驚いて目を丸くしてアルフィンを見つめる。道を急ぐ人波が、思わず足を止めアルフィンを振り返ったが、そんなことにはおかまい無しだ。
何しろアルフィンは頭にきていた。なぜ、この少年が自分の事を知っているのか。どうして追われなければならないのか。何よりせっかくの買い物を台無しにされたのがしゃくにさわって仕方がなかった。アルフィンが三時間かけて吟味した品物は、無残にも宙港センターの床にぶちまけられてしまったのだ。
少年は人目を気にするようにキョロキョロと辺りを見回すと、アルフィンの腕を引っ張ってビルの脇道へ入った。
「な、何よ」
少年はうつむいて、その不似合いな眼鏡をはずしながら言った。
「公式の行事とかでは何度か会ってるんだけど、覚えてないかな」
そうして上げたその素顔に、アルフィンは確かに見覚えがあった。
「あ、あなた、イマク=ローエムシュタイン!?」
けれどそれは、特にアルフィンが個人的に見知っている人物というわけではなかった。勿論頑張って思い出せば、アルフィンがピザンの王女だった頃、ちらりとどこかの夜会ですれ違ったとか思い出せたかもしれないが。イマク=ローエムシュタインと言えば、太陽系国家ガガールにいる者なら、国民も旅行者も誰もが知っている時の人なのだ。
ガガールが、王制から指名大統領制へとその政治体制を改革して十五年。国民の信任投票を受けて、結果、旧王家がそのまま最高位を守り続ける形となっているこの一種独特な民主政治が選んだ次期大統領が、イマク=ローエムシュタインその人なのだ。
今回の大統領選出にあたってイマク=ローエムシュタインが指名された時、銀河連合でも、異例の大抜擢と騒がれている。彼は確かに旧王家の直系にあたる人間であったが、何しろ年が若すぎた。イマクは、今年でようやく十六才の、まだ成人にもほど遠い年齢の若者にすぎなかった。銀河連合は、イマクの大統領就任が飾り物の傀儡と成り果てることを懸念した。もしくは、最初からそのつもりで、選出が行われたとも考えられる。
が、当のガガールでは、その若き指導者に、国民からの信任投票でも八十七%の高い支持率を得ている。官民ともに認められた次期大統領ということだ。おそらくは王制が廃されて間がなく、新しい政治よりも長い歴史に沿った政治が行われることを人々がいまだ期待していること、それを見越されたイマク自身に、政治を担うに足る英才教育を一通り施されていたことなどが、その大きな勝因であろうと言われている。
ともかくも、一週間後の就任式を境に太陽系国家ガガールを統べることになる次期大統領、それが、今アルフィンの目の前にいるこの少年、なのだ。
「でもどうして……」
一人の護衛も付けずにこんなところで、そもそも宇宙港に、どうしていることができるのだろう?
いぶかしがるアルフィンに、イマクは表情を堅くして答えた。
「アルフィンを助けるために、抜け出してきたんだよ」
*
「つまりそのイマク=ローエムシュタインは、アルフィン会いたさに、この大事な時期に勝手に抜け出したんだな」
ジョウは人少なになった宙港センターの前で、リッキーから詳しい事情を聞いていた。
ジョウの口調からはいら立ちが感じられる。リッキーはジョウの顔色をうかがいながら、ミネルバに入った大統領官邸からの通信の内容を伝えた。
「イマクはもう何年も前からアルフィンのファンなんだって。それがクラッシャーになっただろ?公式行事とかよくわかんないけど、とにかく会えなくなってがっかりしてたところへ俺ら達がここに寄るってどこかからききつけたってわけ。行くだの呼ぶだのさんざんごねてたらしいけど、一週間後に就任式をひかえてる時だからって誰も許してくれなくて、で」
「まわりの目を盗んでフラフラ出歩いてるわけか!」
ジョウはふんと鼻を鳴らした。
「兄貴ィ……」
リッキーは上目使いにジョウを見た後、恐る恐る報告を続けた。
「……それで、とにかくイマクがいなくなっちまったっていうんで、これはきっと宇宙港にいったに違いない、直にミネルバに行く筈だから、連絡して大事に至る前に保護だ……って通信が入ったんだけど、まあ、時既におそしってやつだよね」
ジョウは腕を組み、一心に前方をにらみつけている。そして、気を落ち着けるようにひとつ息をついた。
「ガガールはただでさえ入国審査の厳しいことで有名な国だ。この時期、要人警護もあって、もっと厳重になってる。それを見越して俺たちはガガールでの日程を組んでたんだ」
入国に余計に時間がかかる計算でだ、とジョウは付け足した。
「ところが反対にいつにもましてすんなり入国できちまった。多分そいつが裏で手を回したんだろう。おかげで今日一日仕事の筈が午前中でおわっちまった。アルフィンに至っては昨日の段階で作業が終了してた。……その結果がこれだ!」
ジョウはちっと舌打ちした。
「まったくはた迷惑もいいところだ」
ジョウの不機嫌ぶりにリッキーがオロオロしていると、タロスがエアカーを駆って二人の前までやってくるのが見えた。
「タロスー、こっち!」
リッキーのほっとした顔は見逃せない。
「いやぁ、レンタカー屋も混乱してたんで、勝手に拝借してきやしたぜ」
タロスの言葉を聞きながら、二人はエアカーへと乗り込む。
とりあえず、市街地へ方向を定めて、エアカーはすべるように宙港センターを後にした。
「何しろクラッシュジャケットも通信機も置いていっちまってるんで、捜しだせねえんで。ガガール政府の方でも手を尽くすって言ってましたんで、すぐ見つかるとは思いますがね」
「それで爆発とレイガンの奴等のことはわかったか?」
「へい。最後まで渋ってましたが白状しましたぜ。何でもここんとこ若年の大統領に対する反発が出てるらしくて、救国同盟って反政府団体の動きが活発になってきてるらしいんで。おそらくはまあ、そのしわざだろうってね」
「命まで狙われてるってのに無用心にでかけるからだよ。爆発だって、どうせ人目をそらすためのカムフラージュなんだろ?これからガガールの政治を担おうって奴が、自分からそんな騒ぎを引き起こしてさ。怪我人だってたくさん出たんだぜ」
リッキーがそういうのに、タロスはエアカーを繰りながら視線を後部座席へ投げた。
「へえ、お前さんもたまには立派なことを言うもんだ」
タロスらしい、いつものからかうような調子だ。
「たまには、ってなんだよ!」
「これでも随分ほめてるつもりなんですがねえ」
「どのへんがだよ!」
「とにかく!」
ジョウが口をはさんだ。
「イマクが命を狙われてるってのはやっかいだ。アルフィンは今、何も武器を持ってない」
タロスは目でOKサインを出すと、エアカーのスピードを上げた。
*
「あたしを助ける!?」
アルフィンは、あまりに唐突な言葉に目を見開いた。
「本当はちゃんと話合いをしようと思って宇宙港へ行ったんだ。センターでアルフィンを見つけた時は驚いたよ。だけど……」
「待って」
アルフィンはイマクの話をさえぎった。
「話合いって、誰と何の話をするつもりだったの?」
「クラッシャーの人達と『アルフィンを解放してくれ』って話をしにだよ?」
アルフィンは絶句した。
「風のうわさでアルフィンがクラッシャーになったって聞いた時には、みんなで驚いたんだ。まるで結びつかなかったからね。何かわけありなんだろう?ピザンの国王だってそのことについては何も言わないし。ねぇ、アルフィン」
イマクは訴えるようにアルフィンを見つめる。
「どんな弱みを握られているのかは知らないけど、無理矢理クラッシャーに引き込まれて危険なことをさせられてるんだろう?つらかったろうね」
「……」
アルフィンはイマクの思い違いがようやく飲み込めた。
「正式に就任してしまえば、もう自分勝手はできなくなる。別にそれが嫌だってわけじゃないけど、私人として動ける時間はもう残り少なくて……だから、君たちがこのタイミングでこの国に来たことは、僕にとっては運命だと思ったんだ」
イマクの一途な視線はアルフィンを躊躇させたが、反論を飲み込むようなアルフィンではない。
「あのね、あたし、押しかけクラッシャーなの」
強い瞳でまっすぐ見つめ返して、さらりとそう言ってのける。
「なりたくてなったの。身内の話だからお父様もなさらないんだと思うけど、別に強制されてるわけじゃないのよ。あなたのお気持ちはありがたいんだけど……」
イマクの瞳には当惑の表情が浮かんだ。
クラッシャーのユニフォームであるクラッシュジャケットを身につけていれば、それでもいくらかは実感がわいたかもしれない。だが目の前にいるアルフィンは、イマクの知っている可憐で美しい王女時代のアルフィンを思い出させるばかりだった。この細い腕で、男でも音を上げると言われるクラッシャーの荒仕事を、たとえ本人の口から「好きでやっている」と言われても、イマクには到底信じられなかった。
「でも……」
イマクが反論をしかけたその時、一条の光がアルフィンとイマクの足元を走った。
「出てこい」
見ると、レイガンを構えた男達がメインストリートから通路に立ちふさがっている。アルフィンはとっさに反対側へ目を走らせたが、すでにそちらから別の男達が二人を追い立てに迫ってきていた。宙港センターで襲ってきたあの連中に間違いない。
前後を押さえられて、アルフィンとイマクは言われるままに出ていくほかなかった。
メインストリートでは何事が起こったのかと、遠巻きに人々が様子を窺っている。レイガンをつきつけられて出てきた二人を見て、人々はざわめいた。
「王子だ」
「イマク王子だ」
惑星国家時代からの古い王家の血を引くイマクは、親しみをこめてそう呼ばれている。
計六人の男達は人々がイマクを認めたことを確認すると、口元をゆがめて笑った。
そして、アルフィンの方を捕まえた。
「やん、何すんのよ」
そこへ丁度計ったように、ジェットヘリが上空へ現われた。
『我々は救国同盟である』
そう宣言する声を拡張器で流しながら、ジェットヘリがこの騒ぎの元へと降りてきた。人々はわっと散り、必然的にヘリの着陸を許す場所が空いた。
『政治が民衆に解放されたのは、あくまでも形式だけであり、未だ主権は王族にある。我々は目に見える形でそのゆがんだ政治体制に抗議する。目を覚ますのだ。我々国民は、王族に操られている。王族とそれに与する者だけが利権を得る現体制を、決して許してはならない』
一方的な言葉が街に流されると、男達はアルフィンを無理矢理ジェットヘリに担ぎ込もうとした。
「ちょっと、離しなさいよ!」
「うっ」
暴れるアルフィンの蹴りが男の脇腹に見事に決まったが、所詮は多勢に無勢、四方からレイガンをつきつけられてはおとなしくするしかない。
『我々は、極刑をおそれない。次期大統領イマク=ローエムシュタインに正しき力の制裁を!だが、イマク=ローエムシュタインは』
ジェットヘリの声は一呼吸おいて、ひときわ高らかにこう言った。
『我々の手から逃れるために、市民をたてにした!』
これを合図に男達は開きっぱなしのハッチからヘリに飛び乗った。アルフィンはヘリの、ともすれば落ちかねないとっかかりのところでしっかりと押さえられた。なるべく人々に、イマクの身代わりに捕まったアルフィンの姿を見せつけるために。
アルフィンの豊かな金髪が、風に洗われた。
『我々は、イマク=ローエムシュタインの指名辞退を要求する。王家の非道を許すまじ!』
そう言い置くと、ジェットヘリはゆっくりと上昇をはじめた。
*
「兄貴、あそこ!」
市街地の異変をいち早く見つけたのはリッキーだった。丁度ジェットヘリが、メインストリートのど真ん中に下降を始めたところだ。
「タロス!」
遠目でそれを確認したジョウの声に、タロスは絶妙のハンドリングでコーナーを切る。そして、ほとんど暴走とも言えるスピードでエアカーを走らせる。
メインストリートへ乗り入れるのに、さして時間はかからなかった。
*
イマクを捜すため奔走していたビア警察が騒ぎにとびこんできたのは、ようやくこの時になってからだった。
「イマク様!」
「イマク様、おけがは!?」
警官隊はイマクをかばうように取り囲むと、すぐさま救国同盟のジェットヘリを狙撃しにかかる。
「撃つな!」
イマクは苦々しげに警官隊を制した。
「人質をとられたんだ……」
これみよがしにゆうゆうと空へ昇っていくジェットヘリを、イマクは見送ることしか出来ない。
「アル……」
「アルフィン!」
その時、イマクの声を消すように、男の声が重なった。
それはまぎれもなくジョウのものだ。
騒ぎで渋滞を起こしているエアカーの列を横目に、半分歩道に乗り上げながら、更に人々の群れをもつっきって、タロスの操るエアカーはことの中心まで乗り入れるのに成功したのだ。
「アルフィン!」
「ジョウ!」
アルフィンはずいぶん離れてしまった地上にジョウ達の姿を認めた。
「くそっ!」
ジョウはヘリをにらんだまま言い捨てると、エアカーから飛び降りて近くの高層ビルへ駆け込み、そして、エレベーターを見つけて、飛び乗った。
二階、三階、……三十階建のビルのさらに屋上へ。
エレベーターが最上階に到着すると、ジョウは屋上へ通じるドアのロックをレイガンで焼き切り、蹴破って外へ出た。
ジェットヘリの離脱にはなんとか間にあった。丁度ビルの屋上に、ヘリの頭が出たところだ。左右をビル群に囲まれたメインストリートにいて、ヘリは、手をのばせば届きそうなところに浮上してきている。
ジョウは駆け出した。
ジョウに気づいた男達が、ヘリの中からレイガンを撃つ。アルフィンが捕まっているのでジョウは無茶な応戦はできない。腕で頭をかばいながら、かまわず一直線にヘリへ向かって走った。
ジョウはヘリの操縦席がスモークグラスで保護されていることを確認して、内ポケットから光子弾を取り出した。
一度、高く掲げてアルフィンに光子弾を見せた。アルフィンにはそれで十分通じるはずだ。目をかばい、次のアクションに備えること。アルフィンがうなずくのを見て、ジョウは、光子弾を宙に放った。
閃光が走り、空が色を失った。
「うわっ」
「ぎゃっ」
予期せぬ強烈な光に目を貫かれた男達が声を上げた。ジョウは男達からアルフィンが解放されたこの時を逃さない。
「アルフィン!」
電磁メスを取り出すと、光子弾の名残の中、目を細めながらヘリめがけて投げる。長さ十センチのスティックがくるくると宙を舞い、アルフィンの手に渡った。
すでにヘリは十分な高度をとると、開きっぱなしのハッチを閉じ始め──。
「ジョウ!」
「すぐ追いつく!」
そう言葉を交わすだけで精一杯だった。
アルフィンを乗せたジェットヘリは、急速反転すると、何方へか飛びさって行った。
*
エレベーターで一階へ戻り、ジョウはタロスとリッキーの元へ駆け寄った。
「トレースは?」
エアカーに腕をかけ、操縦席をのぞきこむ。
「今ミネルバでドンゴがやってる」
リッキーが後部座席から身を乗り出してそう告げた途端、通信機からドンゴの声が流れた。
『ニャハ、入力完了。画像ヲ送ル』
ピッという機械音の後、ディスプレイに市街地図が浮き出した。地図の上で点滅をくり返している青白い光点がジェットヘリの位置を示す。どうやら北西の方角へ移動しているようだ。
「追いやしょう」
「ああ」
タロスに答えてエアカーに飛び乗る刹那、ジョウはふいに思い出してきびすを返した。
この騒ぎの対応に騒然としているビア警察を尻目に、ジョウはずかずかとイマクの正面まで来て、きっぱりと言い放つ。
「あんたの軽はずみな行動で、大勢に被害が出たんだ。アルフィンも巻き込まれた。この国がどうなろうが知ったことじゃないが、あんたも指導者になるんなら、人の迷惑も考えてくれ」
ジョウの突然の暴言に警護をつとめている警官らが、一斉にレイガンを抜く。イマクはそれを手で制して、無言のままジョウを見つめた。
「俺達は俺達で勝手にやる」
そう言うと、ジョウはぷいっと向きを変えて駆け出し、エアカーに乗り込んだ。未だ渋滞したままのメインストリートを、乱暴な操縦で強引に抜け出し、あっという間に消えてしまった。
「追いますか?」
警官が一人、威儀を正して問うのに、イマクは、
「いや」
とだけ答えて、小さな苦いため息をついた。
……アルフィンが、奴等に捕まった時。
自分は何もできなかった。下手に動いて彼女に何かあったら……そう思うと、体が動かなかった。
だが、彼は、彼らは、動いた。
彼女を助けるために、なんの迷いもなかった。
その荒っぽさを目の当たりにして「好きでクラッシャーになった」というアルフィンの言葉は、余計に、信じがたいけれど。
多分これが答えだ。
イマクは気持ちを入れ替えるため、ひとつ深く息を吸う。
とにかく今は、この騒ぎを片付けることが先決だ。
そばに控える警官に向かって、イマクは固い声で指示を出した。
「空港と宇宙港の出入国を厳重に取り締まるよう連絡を。事故の措置と、怪我人の救護を急げ。市街近郊の警官隊に連絡、A−6地区へ急行するように。……救国同盟を一掃しよう」
「はっ」
イマクの顔から、十五歳の一途で身勝手な少年の表情は消えていた。あるのは、その若さにもかかわらず多大な支持を得た、次期大統領を担う聡明な若者の姿だった。